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平成15年12月19日

直接請求に対する反対討論

 市民クラブの中道です。私はこの度、市民から直接請求され、市長から提案されました議第133号「多治見市が瑞浪市、土岐市及び笠原町と合併することについて市民の意思を問う市民投票条例を制定するについて」に対し、反対の討論を行います。

 本条例案は議第76号の市民投票条例案が9月議会で否決されたことに伴い、有権者からの直接請求を受けて、再度市長が意見を付して今議会に提案したものであります。

私は「市民が合併の是非に直接参加したい」という願いから署名された13,554名の市民の要望を重く受け止めています。また、直接請求に必要な1,651名を大きく上回る署名を集められた790名の署名受任者に対し、多治見市行政にかかわる者として、心から敬意を表し、感謝を申し上げる次第であります。

この度の市民投票条例案、直接請求の要旨、請求代表者の本会議での意見陳述及び参考人の合併調査特別委員会での質疑応答、添付された市長の意見書などを、つぶさに検討させていただきました。その結果、やはり議第133号も反対せざるを得ないという結論に達しました。ただし、市長の意見書にも付されていますように、条例案第7条の不備に対して反対するものではなく、あくまでも条例案の主旨と内容に反対するものです。

以下、市民投票条例案、直接請求の要旨、請求代表者の意見陳述及び参考人への質疑、そして条例案に添付された市長の意見書のそれぞれに区分して反対の理由を述べます。

1.市民投票条例案について

まず、市民投票条例案について述べます。議第133号の内容は、9月議会で否決された議第76号のものとほぼ同じです。異なる点は@第5条の投票日を単に市長が定める日とした。A第13条の期日前投票を合併協議会のものと同じにした。B付則の条例効力の喪失条項を削除した、の3点です。3点はいずれも条例の内容を変更したものではありません。

前回、私は議第76号に対し、8点にわたる反対理由を述べました。その内容は本会議で傍聴することが可能でありましたし、議事録も公開されています。そして、私自身もインターネットで「反対討論」の原稿を公開しています。今回の議第133号の条例案が、前回の私の反対理由に対し、納得できる反論や条文の改善にまで踏み込んでいないことから、私は今回の条例案にも賛成することができません。

理由を説明すると長くなりますので省略しますが、9月議会での反対の要点は次のとおりです。

@ 市民投票条例は憲法違反の可能性があります。

A 市民投票条例は意向調査との結果が異なった場合の処置が明記されていないなどの大きな不備があります。

B 市民投票条例は同じ目的のために2度も投票しなければならないなど、市民に無駄な負担と労力を強います。

C 投票結果の尊重義務は条文上、意向調査も市民投票も同じであります。

D 投票結果の尊重義務は手続き上、意向調査も市民投票条例も同じであります。

E 同義的には、他市の方々と協議を行って決めた意向調査の方が、市民投票より重みがあります。

F 意向調査は多治見市民の意向を確認でき、さらに他の2市1町住民の意向をも確認できます。

G やはり合併の是非を問う住民投票は、3市1町が同一の精度で足並みを揃えるべきです。

 私が本条例に反対する根本的な理由は、3市1町の法定合併協議会が、投票方式の住民意向調査を実施すると決定した以上、意向調査を住民投票として機能させることに専念すべきだと考えるからであります。そして、市民が同じ日に同じ会場で同じ目的のために2回も投票することは、混乱や行政に対する不信感を招くため、絶対に避けるべきであると考えています。8点の反対理由の根底には、このような考えがあります。

いずれにいたしましても、議会が言論の府である以上、少なくとも8点に対する反対理由を、条文上で私の納得の行くように解消していただかないと、私は条例には賛成できません。

2.直接請求の要旨について

次に、今回の直接請求の要旨について触れます。要旨はA4の1ページにわたって記載されてありますが、私の反対理由に対する反論は1箇所のみでありました。その部分を引用いたします。「市民投票条例に反対した人たちは、この2つを同じようなものとして扱いましたが、両者の制度の性格は全く異なるものです。私たち市民が市民投票条例によって、多治見市の合併の是非を自ら決定することこそが、真の民主主義であると思います。」

これらの文章は重要な2つの意見を主張しています。1つは、市民投票条例と意向調査は全く異なる制度であるということ。もう1つは、市民が市民投票条例により合併の是非を自ら決定することが真の民主主義であるということ、の2つです。

以下、それぞれについて、私の見解を申し上げます。

まず1つ目の、市民投票条例と意向調査は全く異なる制度である、についてですが、実は市民投票条例も意向調査も、現段階において法律で制度化されていませんので、制度としての比較ができないのです。今回実施された市民による直接請求は、地方自治法第74条の「条例の制定又は改廃の請求とその処置」という制度に従い今議会で審議しています。

しかし市民投票条例そのものも、意向調査そのものも、法律によって制度化されている訳ではありませんので、「両者の制度の性格は全く異なる」と断言することはできません。

一般に、両者の用語が意味するところは誰にでも理解ができますが、地方自治体がこの用語を使用して行政を行おうとすると、法律に抵触しない範囲で用語の定義が必要となります。

用語の定義は条例で行いますが、条例制定の条件は憲法と法律に違反しないことです。署名された市民の皆様は、市民の投票によって一義的に合併の是非を自ら決定したいとのご要望、そのこと自体が地方自治法第96条の議会の議決権に違反いたします。

つまり、条例としては市民が一義的な決定権を持つような条文は制定できませんので、条例条文は市民投票の結果を「尊重しなければならない」としか書き込めません。そして、この「尊重」という用語は、住民意向調査実施要綱第4条第1項の「得票結果を尊重する」の定義と全く同じ意味合いを持つものです。

市民投票条例と意向調査の基本的な差異は、前者の選択肢が2択に対し、後者の選択肢は3択であることです。また投票条例は尊重する機関が市長と議会の2つに対し、意向調査は合併協議会と首長及び議会の3つであることです。それ以外、尊重という用語を含めて両者の目的と内容は基本的に同じです。

 以上述べましたように、仮に条例の制定をもってしても、市民投票の結果に決定権を持たせることは出来ません。したがって、私は混乱の原因となる両者の同時施行を断念し、意向調査を住民投票として機能させた方が良いと主張します。そしてそのためには、西寺市長が条件を付して「私は合併調印の際、意向調査の結果に従います」と一言宣言すれば済むことだったのです。

 次に、直接請求された方々のもう1つの主張である、「市民が市民投票条例により合併の是非を自ら決定することが真の民主主義である」について述べます。この主張は現在日本が採用している間接民主主義を真っ向から否定しています。誰もが理想としている直接民主主義は、多大なコストと莫大な時間を要するため、日本は不備を承知で間接民主主義の代議制を採用していると、私は理解しています。

そして、その代議制の隙間を補完するために、今回市民が行われた直接請求制度が制定されているとの理解を持っています。ですが、より普遍的な住民投票という制度が制定されていないのは、それを制度化する条件がまだ日本では熟成していないことを示しているのではないかと、私は考えています。

地方自治体は憲法や法律に則って行政を行わなければ、1円のお金も1人の職員も動かすことができません。ですから、現在の間接民主主義に不備があろうとも、現行の法体系を直視し受け入れた上で、市民は行動を起こす必要があると考えています。

 直接請求された市民の方々の崇高な精神と熱き思いに、心から敬意を表しつつも、あえて反対の見解を述べさせていただきました。

3.請求代表者の意見陳述及び参考人への質疑について

 次に、本会議での直接請求代表者の意見陳述と合併調査特別委員会での参考人に対する質疑について、私の見解を述べます。代表者は越村勝吉氏で、参考人は越村氏と浅野みな子さんの2名であり、主な意見は代表人である越村氏が述べておられますので、ここでは一括して私の見解を述べます。

 まず、越村代表の意見陳述に感銘を受けました。そして皆様の「市民自治を確立したい」という熱き思いをしっかりと受け止めさせていただきました。代表の意見は次の4点に集約されるのではないかと考えます。

@ 市民投票条例制定について、市民が行動を起こし議論を行うことによって市民が鍛えられ、目指す「市民自治の確立」への第1歩を踏み出すことが出来た。

A 合併は自治体の枠組みを変え、市民の生活に直接影響を及ぼすものであるから、市民投票条例によって市民自らが合併の是非を決定すべきものである。

B 住民意向調査は「どちらとも言えない」という選択肢があるために市民の意思が曖昧になる。その点、市民投票条例は明快な答えを出すので最適な方法である。

C どうか、このような真意を理解し、民意を汲み取っていただきたい。もし、汲み取っていただけない場合、多治見市議会は民意を汲み取れない議会として、歴史に残るであろう。

意見陳述の要旨は、以上のようなものでありました。

 私は代表の真意を理解しておりますし、民意の重さも十分に承知しているつもりです。そして、私自身もまた、市民自治の確立を目指して、日夜研鑽に励んでいるつもりであります。

しかし、思いは民意だけでは実現しません。民意は法律などの行政のルールに整合し、かつ周りの者に認められたときのみ実現いたします。その意味で、代表らの思いと、議会の価値観が2つの面ですれ違っています。

 まず、思いを行政で実現するためには、少なくとも法体系に整合していなければなりません。先に述べましたように、住民投票という制度は日本の法体系の中にありませんが、その理由は地方自治法で定められた議会の議決権と整合しないからであります。

そこで、市民投票条例が議会の議決権を超える、または整合させるための工夫が必要となってきます。議員が何か新しい事をしようとすると、法律の制約条件をどのようにクリアーするのかが課題となり、仕事の大半はこのような作業であります。

次に、合併は他の2市1町との合併でありますから、他の自治体にも配慮する必要があります。たとえて言うならば、我が家の事柄は家族が決めれば良いことですが、そこに末永く生活し続けるのならば、隣人への配慮も必要です。合併は自治体同士の結婚によく例えられますが、隣人と結婚話をしている時には、相手に対するより一層の配慮が必要であります。

私は、この2つの問題をクリアーするものが、投票方式の住民意向調査であると位置づけています。皆様の思いはよく分かりますが、その思いだけでは結果的に条例制定だけが目的になっています。もし仮に、条例を制定したとしても、その施行は必ず混乱を招くだけです。

名を捨てて実を取るために、住民意向調査を市民投票条例のように機能させる。その事が議員としての、私の役割だと考えています。

4.市長の意見書について

次に、市長が直接請求に添付した意見書について、私の見解を申し上げます。意見書は「合併の是非については市民の意思を最大限反映させ決定すべきものであることから、条例に基づく住民投票の実施は、不可欠かつ最善のものと考える」と主張しています。

 市長ご自身が条例の制定が不可欠かつ最善のものと主張するのであれば、早くから議会での可決に最善をつくすべきだったでしょう。そして、そのためには、市長自らが私の8点の反対理由に反論すべきです。私の反対討論は9月議会で審議した結果、最終日の表決の際に公表したものですので、その後、この反対理由に反論する機会がありました。しかし、西寺市長は従来の主張を繰り返すだけで、条例案を可決するための努力はほとんどしておられないのです。

 ここで、今議会の質疑の中で、市長がいくつかの反論を試みておられる点について述べます。1つは投票条例と意向調査は根本的にルールが異なるというものです。この件は先ほど述べましたように、両者の用語が意味するところは異なりますが、法律の制約条件から「投票結果を尊重する」という条文を「投票結果が合併の是非を決定する」という条文には変更できない以上、両者の行政上の取り扱いは結果的に同じになります。

ですから、先ほど述べましたように、市長ご自身が「意向調査の結果に従う」と宣言することによって、意向調査が住民投票と同じ機能を果たすことができるということが、どうして理解できないのでしょうか。

 次に、もう1つの市長の主張は、両者の埋めがたい違いとして「条例を制定しないと、合併の是非について議会の関与がなくなる」ということを指摘しておられます。

これは暗に、西寺市長がご自分が合併の調印をする際、条例を制定することによって議会の同意を担保して置きたい、そうでないと市長の判断と議会の判断が相反する可能性がある、と主張していることに他なりません。この主張は現在の地方自治の制度から見ると、大変おかしな主張であります。

 地方自治法によれば、予算案を編成し提案する権限は、市長にあって議会にはありません。市長は予算案を議会に提案する際、あらかじめ議会に同意を求める必要はありません。また、事前に議会の同意を決定してしまうような条例は提案できない筈だし、現在の地方自治体の制度から見ても、あってはならないことです。

 市長が予算案を議会に提出し、議会がそれを審議し、必要な場合には議会が修正して可決し、市長が執行する。このシステムが地方自治体の基本的な行政の姿の筈です。地方自治体は国会の議員内閣制とは異なり、いわば市長による大統領制なのです。したがって、市長は予算編成を行うときのように、市民のリーダシップを取る必要があります。

 繰り返しになりますが、市長は住民投票の結果を判断し、合併の是非について孤独な決断をしなければなりません。その市長の決断に対して議会が審議し、合併の是非を決定するのです。その孤独な決断を回避するのならば、市長を努める資格はありません。

 さらに申し上げるならば、9月議会で市民投票条例が否決された後、市長が自らの進退をかけて議会と対峙する、または条例制定を断念し意向調査を住民投票として機能させるために努力をする、などのことをされませんでした。そのため、この3ヶ月間、住民投票条例を制定するか否かの問題で時間が空費されてしまいました。この3ヶ月は市民が合併の是非について十分に考え、そして議論するための大変重要な期間であったのです。

 また、今議会で市長は、直接請求された条例案に見解を表明することは、議案の審議に影響を及ぼすので、議会最終日の表決後に公表すると明言されました。その上、意向調査の取り扱いに関する見解の表明が遅れているのは、他の首長との話し合いが長引いたためであると弁明されました。これらの発言は、まるで空白期間を作った責任がご自分にはないような発言であり、署名された市民や他の首長に責任があるような言い回しになっています。大変無責任であると言わざるを得ません。

 いずれにいたしましても、直接請求された市民投票条例は、本日の表決まで決着が着きません。その上、意向調査の結果の取り扱いに関する見解も、よもや12月26日に開催される合併協議会で発表されようとするのならば、合併の是非に関する運動は、正月明けまで、本格的にはできないことになります。

 1月25日に、意向調査を実施することが決定されていますので、市民が合併の是非について本格的に議論する期間は、20日程度しかありません。市民の生活に直結するこのような重要な事柄が、十分議論されなくて良いのでしょうか。これでは、多治見市の将来を決定する期間としては、大変短いと言わざるを得ません。

 西寺市長が合併に対して表明された議会での見解は、次のように順を追って変わって来ました。2年前、市民が合併協議会設置を直接請求するまでは、「多治見市の今の大きさが街づくりに適したサイズである」と言われ、この段階で、市長は合併に反対しておられました。次に、昨年の法定合併協議会が立ち上がった時には、「合併協議会の会長として、合併協議を進めて行く」と言われ、この段階での市長は、合併協議はするが、合併を決定するのは市民であると主張しました。その後、議会では、合併の是非について自らの態度を表明されていません。しかし、今議会で初めて「合併は必要である」と表明されたのです。

合併を推進している者にとって、市長がご自身の見解を合併賛成に変えられたことは歓迎すべきことであり、評価いたしますが、この間、自治体の首長としてはリーダーシップがなく、あまりにも意思決定が遅すぎます。

また、市民に十分な啓蒙ができないまま、来年の1月25日の意向調査の日を迎え、投票率が低い、あるいは投票結果に「どちらとも言えない」の得票が多くなって、合併是非の判断が難しくなった場合は、この3ヶ月の空白期間を作った西寺市長の大きな政治的責任です。

そして、もしそのことが原因となり、3市1町の合併が実現できなかった場合、今議会で「合併が必要である」と初めてお認めになった以上、市民に対する市長としての、あなたの政治的責任は非常に大きなものとなることを申し添えます。

 以上で、私の反対討論を終わります。

 

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