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平成17年4月5日

21世紀分権時代における地方議会のあり方


研修結果報告書
多治見市議会議員 中道育夫

 

 3月26日、早稲田大学マニフェスト研究所(北川正恭所長) 主催の、表記研修会が東京の財団法人全国町村議員会館で開催されました。参加者は全国の県議会議員及び市議会議員が約160名で、多治見市議会からは中道育夫と若尾円三郎の2名が出席しました。
 研修会では、まず北川所長が「地域自立とローカル・マニフェスト」と題して講演を行い、続いて神奈川県知事の松沢成文氏による「ローカル・マニフェストで変わる地方自治・神奈川県の実践、議会とローカル・マニフェスト」、慶応大学大学院の上山信一教授による「マニフェスト・サイクルによる行政経営」、そして慶応大学大学院の曽根泰教による「地方自治と議会の役割」の講演が行われました。その後、講演に対する質疑応答、最後に「ローカル・マニフェスト推進地方議員連盟」を設立することが合意されました。ここでは、それぞれの講演の主な内容を報告します。

地域自立とローカル・マニフェスト (北川正恭所長)
 最初に北川所長から、去る2月4日、ローカル・マニフェストの首長連合が199人の参加で結成されたこと、そして5月22日にはローカル・マニフェスト推進地方議員連盟設立が予定されていることが報告されました。また、北川氏は次のように述べました。
2,000年に475本の法律からなる地方分権一括法が制定され、三位一体改革による税源移譲で、地方自治体は国と対等の関係になった。地方分権により、それまで自治体業務の8割を占めていた国の機関委任事務が廃止され、自治体では自治事務が7割、法定受託事務が3割となった。これらの改革により、自治体の首長は国の管理者から自治体の経営者という役割に変化した。また地方議会はこれまで首長の追認機関にすぎなかったが、自治体が国から自立したため、むしろ議決機関の方が首長よりも権限を持つことになり、首長がより真剣にならざるを得ない状況が生まれた。
これらの潮流の中で、ローカル・マニフェストが必要になった理由には次の背景がある。
ヨーロッパ連合(以下、EUという)は、アメリカに対抗するため共通の通貨であるユーロを採用した。このためEUは経済をグローバル化し国境の障壁をなくしたため、地方を充実する目的で地方分権を行わざるを得なくなった。一方日本では、85年のプラザ合意以降の円高と高い税金により、企業が国外へ逃げて行き産業の空洞化が進んだ。このため、日本もグローバル化により分権を進めざるを得なくなり、地方を充実するためにセントラル・パーティ(中央政党)以外に、分権の受け皿となるローカル・パーティ(地方政党)が必要となった。
従来の地方選挙では地盤、看板、鞄が大切といわれており、それは親と経歴(学歴)及びお金がないと当選できない属人的な選挙であったが、分権時代における選挙は、地方を充実させるための体系的な政策に基づくローカル・パーティーのローカル・マニフェストによって争われる政策的な選挙に変更する必要がある。
 このような潮流のなかで国の法律も変更された。例えば、個人情報保護法によって従来の行政裁量国家から司法国家へと変化し、公益通報者保護法によって内部告発を奨励し、行政手続法によって公務員の不作為が逮捕の対象となり、市場化テストによって官民が競争入札する時代となった。地方自治体も例外ではなく、地方債が自由に発行できるようになって自治体が格付けされ、有利な地方債が発行できるようになるなど、都市間競争が始まる仕組みも作られた。また地方自治体の中にも犬山市のように広報をNPOに任せたり、新潟市のように各部長が全市的な課題について検討するなどの新しい動きもある。今後は地方議会も議員提案条例を制定するなどの試みが必要である。

ローカル・マニフェストで変わる地方自治 議会とローカル・マニフェスト
(神奈川県知事 松沢成文氏)
 28歳で県議会に出馬し2期6年議員を勤めた。当時は長洲知事の時代で共産党以外に知事を批判する議員はいなかった。しかし多選の弊害で様々な問題があることを指摘したところ、他の議員からいじめられた。その後国会議員に出馬し10年間議員を勤めた。細川政権を担うなどの経験を積んだが、霞ヶ関は巨大であり、改革がいつの間にか改革でなくなってしまう状況があった。腐敗した中央、特に官僚機構を潰すのは地方であると考え、もう一度地方から挑戦した。いま神奈川県庁では、問題児が知事となって戻ってきたと囁かれている。
 地方から新しい政治を行なうためには選挙を変えないと駄目だ。知事選挙では7人の候補者と戦い、中には著名な田島陽子氏もいた。選挙では労働組合などの団体の推薦を受けず無党派候補を名乗り、金、組織、知名度を利用せずに政策で勝負した。神奈川には820万人の県民がいるが、選挙で使ったお金は約2,000万円である。嘘ではないかと指摘する人もいるが本当だ。他の候補者には、今でも億単位の借金を抱えて困っている人がいる。
神奈川は都会型選挙で、政治を利益と考える人よりも政策を聞く人が多いため、首長は県のマネージャーと位置づけ、全ての分野を網羅した37本の政策を立案した。マニフェストは学者や選挙専門家などの10名のプロジェクト・チームを作り、2ヶ月掛けて作成した。本来であれば半年ぐらいは掛ける必要があると考えている。マニフェストは5,000部作成し1部100円で販売し、これは公約であり必ず実施すると宣言した。
しかし作成したマニフェストは、職員と議員の立場や主張から見ると整合しないものが多く、既存の総合計画と継続性を保つ必要性があるため、マニフェストと総合計画がダブル・スタンダードとなった。当初の県議会構成は民主党系勝手連以外の議員が野党で、その勢力は約7割もあり、野党議員から行政の継続性について徹底的に追及された。そこで、マニフェストを使って総合計画を作るしかないと考え、神奈川力と称してマニフェストも若干修正した。
マニフェストは従来の公約をウイッシュ・リスト(おねだり表)から政策の情報公開へと変更するものである。これにより、議会では政策論争が活発になり、テーマごとにプロジェクト・チームが出来るようになった。議会に執行権はないが、議会が否決したら行政は執行できない。ここに二元代表制の最大のポイントがある。

マニフェスト・サイクルによる行政経営 (上山信一・慶大教授)
 28歳で旧運輸省を辞め、最近は自治体経営、特に地域再生に取り組んでいる。
政治はキャッチアップ時の右肩上がりの経済に甘えていたが、95年に転機を迎えた。この年は阪神淡路大震災と松本サリン事件が発生し、三重県で北川知事が、ニセコ町で逢坂町長が誕生している。
この転機までは利益配分、利益誘導のための自治体経営が行なわれ、掟破りにはペナルティーとして利益を削減した。普通このような企業経営では、会社は潰れるが、行政は潰れない。このような状況下で、それまではリーダーシップを持ったカリスマ的個人の待望論が議論されていたが、そのようなリーダーが出てこないと、行政は寝て暮らしていた。過去のリーダーはキーワードやキャッチフレーズで物議を醸し出して人を動かし、緊張感が生まれて一定の変化を発生させた。しかし本来、リーダーシップとは自治体の行政評価を行い、組織運営を行なうものである。
経済のグローバル化と情報公開、及びITの進歩によりゲームのルールが変化し、情報伝達機関としての中間層の存在意義がなくなり、地方議員は苦難な時代を迎えた。政治の近代戦は政策の情報公開としてマニフェストが武器になるが、これだけでは行政は動かない。議員は自力で行政評価と行政経営のマニフェストを作成し、争点を自ら作って行く努力が必要だ。議員のマニフェストは、議会改革や議員提案条例制定、そして首長マニフェストのチェック、さらには会派との関係などを網羅する必要がある。
マニフェストは経営の質を高めるために有用である。トップが首を出したら部下も首を出さざるを得なくなるため、トップが期限を区切って外部に宣言すると、組織が引き締まる。厳密に考えると首長以外のマニフェストは効力が少ないが、今はマニフェスト現象として拡大解釈しても良いのではないか。マニフェストは15年後にどのようなまちを創るのかというオレゴン・ベンチマーク(社会指標)に沿って作成すべきである。事務方に行政改革案を作らせたら1%削減案を持ってくるが、ベンチマークはジャック・ウエルチのストレッチ・ゴール(背伸びしてやっと届くような目標)にすべきで、インプットではなく、戦略やアウトプットから作成すべきである。

地方自治と議会の役割 (曽根泰教・慶大教授)
 選挙を従来の属人的選挙から政策的選挙に変えるため、マニフェストを政権公約と訳した。
かっての衆議院の中選挙区制度では、同じ選挙区から複数以上の自民党候補が立候補したために、選挙で他候補との違いを強調するためには、自民党内での政策の違いを主張するよりも属人性の違いを強調することが多かった。また、旧社会党は全選挙区で候補者を擁立し議席の過半数を獲得して政権を奪取する意欲がなかったため、自民党との政策の違いを鮮明にして主張する必要もなかった。つまり、かっての選挙はキャッチアップを目指した右肩上がりの経済の中で、利益配分を増すためだけの議席数争いであり、政党間の政策の違いよりも派閥内の議員数の多少に意味があった。
 西欧へのキャッチアップを果たし国際化、情報化、地方分権の時代を迎えた今、現在の小選挙区制度は政権交代が可能な2大政党を作りつつ、政策論争を可能にするためのものである。論点を整理し争点を鮮明にするものはマニフェストであり、そのためマニフェストを敢えて政権公約と意図的に誤訳したのである。
一方、政権交代を伴わない参議院選挙や、複数以上の定数を有する地方議会の選挙の位置づけは難しい。参議院選挙は与党の中間評価という位置づけも可能であるが、地方議会の位置づけは難しい。現在は二元代表制で首長と議会の2つの異なる役割を独自に選択している。とすれば、議会の役割は何か。一般的には監視・批判・修正・代案提示と議決の機能であるとされている。しかし、マニフェストによって当選した過半数の議員が会派、またはローカル・パーティを結成すれば、首長は自らの政策を実行できないという問題がある。この場合、首長と議会のいずれのマニフェストを優先させるのか、学者の間でも結論が出ていない。

(注) 筆者は上記の問題を次のように考えている。
 第28次地方制度調査会は、地方自治体を現行の二元代表性にするのか、議員内閣制にするのか、又はシティ・マネージャーを設置するのか、それともイギリスのようにこれらの中から自治体が選択するのか、などの結論をまだ出していない。
そこで、仮に現行の二元代表制を採用するならば、首長の役割は行政サービスと自治体の将来像に関するリーダーシップの発揮であり、議会の役割は上記役割と共に首長のリーダーシップに対する多様な意見の収集と論点整理であり、争点を明確にして議決することと考える。そして二元代表制においては、首長は議会に対し解散権を持つが、議会は首長に対して不信任か辞職勧告の決議権しか持たないため、首長の方に優位性があると理解している。
 さらに、以上の制度的な問題とは別に、地方分権時代の地方自治体は地域に相応しい将来像や政策を独自に持つ必要がある。また、その政策に多様性を持たせて完成度を高めるため、各自治体の中でローカル・パーティ(地方政党)を設置する必要がある。そして、ローカル・パーティの中で政策を共有する議員(または市民)が、代表として首長に立候補して当選し、リーダーシップを発揮して行政を行い、議会の審議を仰ぐことは問題がないと考えている。
 なお、議員内閣制は行政責任が曖昧であることや、与党が多いと活発な議論も期待できず、長期政権になる可能性が高く、劇的な政権交代が困難とされており、本家のイギリスでも試行錯誤が続いている。また、シティー・マネジャー制は首長や議員が官僚に支配されないために有用と考えており、公募制が望ましいと考える。


以上

 

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