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平成17年4月17日

ローカル・マニフェスト推進地方議員連盟設立準備運営委員の皆様へ

ローカル・マニフェストへの私見


多治見市議会の中道育夫です。3月26日と4月14日の会議を準備して下さった、北川教授をはじめとする事務局の皆様に感謝を申し上げます。私にとって2つの会議は大変有意義でありました。14日の会議ですが、私は事務局から@連盟のコンセプト、A連盟の活動方針、及びB5月22日設立総会要綱などの原案が提案されるものと予想していました。このため、お客様気分で参加してしまい、北川教授からいきなり「@〜Bを提案せよ」と言われたときは、考えを整理仕切れずに文脈のない話をしてしまったことを反省しています。

そこで、今日はこの場をお借りして、北川教授から質問がありました西寺・多治見市長のマニフェスト作成支援要綱に対する感想と、@連盟のコンセプトに対する見解を述べさせていただき、運営委員の皆様にも話題の提供をしながら論議を深めたいと考え、投稿しました。
 
まず、西寺市長のマニフェストですが、多治見市のHPから「市長の部屋」→「マニフェスト」で「市長マニフェスト」「マニフェスト進行管理」「マニフェスト作成支援要綱」が読めます。私がこれから申し上げる内容は、この事例が基準となっていますので、ご一読下さると幸いです。
 まず、これほどの精緻なマニフェストを作成できる議員は、ベテランといえども予算編成を経験した者でないと、殆どいないのではないかと、私は推察しています。先日の会議のなかで「新人候補が西寺判マニフェストを作成することは難しい」と述べた理由の一つはこれです。
昨年9月の「ガバナンス」や中日新聞の談話の中で、西寺市長は「総合計画こそ首長のマニフェストだ」という発言をしました。私は政治家が作成するマニフェストと、行政の事務方が作成する総合計画は、当然異なるものと考えていましたので、この発言に大変驚きましたし、また西寺版マニフェストが精緻である理由も理解できました。そこで、昨年12月議会の「第5次総合計画・後期計画」の反対討論の末尾に、「西寺判マニフェストが日本版マニフェストの標準になることはないだろう」との意見を述べました。詳細は、私のHPの「市政トピックス」→「12月議会の結果」→「5次総・後期計画・反対討論」を参照して下さい(HPのアドレスは本文の末尾に記しました)。
私は基本的に検証可能な政治家の公約がマニフェストであり、それはできるだけ簡素かつ分かりやすいものが良いと考えています。それに対し、西寺判マニフェストは2つの課題を提起しました。1つは、政治家の「マニフェスト」と地方自治法に定められている「総合計画」では、それぞれがどのような役割や位置付けを担うのか。もう一つは、マニフェストに専門性や精度の向上を盛り込もうとすればするほど「総合計画」に近似してくるが、目標数値、期限、財源、工程表などの基準を、どこに置くことが適正なのか。私はこれらの事柄に対する運営委員の皆様のご意見を是非伺いたいと思います。
 
次に、地方議員のマニフェストについて私の考えを述べます。つまり@です。
私は明治以来の中央集権型行政が地方分権型行政に変更されようとする歴史的なパラダイムの転換期に、一地方議員として行革に参画できることを大変幸運に思います。日本の政治の根幹を変革するこうしたチャンスだからこそ、我々議員は北川教授が発起したマニフェスト運動を、単に首長のマニフェストにどのように対応するのかだけではなく、二元代表制の中で地域政策をどのように構築して行くのか、その制度設計まで視野に入れて活動する必要があると考えています。この度のマニフェスト運動は、閉塞感に満ちた現在の政治・行政を分権型に転換する大変大きな機関車になり得るものです。
英国の議員内閣制で発案されたマニフェストですが、政治のシステムが異なる日本に於いては、議員内閣制の国会政党マニフェストと、地方自治体の二元代表制の首長と議員のマニフェストが、それぞれ同じ様式で良いはずはありません。北川教授の言によれば、現制度で選出された国会議員はマニフェストや公職選挙法改正に熱心ではないとのことですから、やはり政治・行政は地方から変革するより方法がありません。そこで、私は地方自治体の二元代表制での首長と議員のマニフェストについては、次のように考えています。
 
マニフェストを論ずる前に、まず現選挙制度の問題を指摘する必要があります。私は過去3回選挙を経験しましたが、そこで分かったことは政策のみでは当選できないという大変厳しい現実です。キャッチアップ時代の議員は審議(悪く言えば追認)のみで良く、当選するために利益誘導していれば、立派な地方議員として評価されてきました。しかし分権時代の地方議員は、各自治体が自立し都市間競争を始めると、議員自ら地域政策を立案せざるを得ない状況に追い込まれます。今や地方議員は従来の審議・監視能力よりも政策立案能力が求められるようになりました。他方、住民代表を選ぶ有権者は議員に対し従来の利益誘導の幻影をまだ追い求めています。ここに時代が求める議員像と、現有権者が求める議員像との間に、悩ましく大きな乖離があります。また議員の身分についても、従来の制度を継続しているために、今求められている議員の役割や活動に、現報酬(詳細は私のHPの「トピックス」→「自治日報の議員と報酬に反論」を参照)が整合しておらず、旧来型議員と未来型議員との間では、価値観を共有できずに不毛の議論が繰り返されています。私はこれらのギャップを埋めて制度を再設計する武器がマニフェストだと考えています。
 
地方議員が作成するマニフェストとは何か。マニフェストを意図的に「政権公約(3月26日、曽根・慶応大学教授の言)」と誤訳されれば大変分かりやすいのですが、議員の出番はなくなります。そこで私は、次のように考えます。首長候補のマニフェストは、リーダ・シップに基づく地域の将来像の提示、どちらかと言えばローカル・オプティマムに属するものではないか。
これに対し議員候補のマニフェストは、市民の多様な意見を汲み上げつつ様々な要望を実現、または首長候補の将来像への反論であると。そして、議員候補のマニフェストが市民の最大公約数的な政策パッケージに統合できれば、それはシビル・ミニマムとなるのではないか、と私は考えるのです。
繰り返しになりますが、首長候補は自らの信念に基づく自治体の将来像で有権者の審判を仰ぎ、議員候補はその将来像の適否や、シビル・ミニマムの観点から多種多様な市民の要望を政策化したもので有権者の審判を仰ぐ、という構図を想定しています。そして両者の関係では、議会の方が議決権を持っていますので、首長が暴走、または怠慢に陥ったら、いつでも議案を否決するという緊張感が生まれるでしょう。ただし、従来のように議員側が政策を持っていなければ、決して緊張感は発生しません。
 
マニフェスト化を想定した地域政策は一人の議員では作成できません。議員はそれぞれ得意とする、または優先する分野が違います。経済の活性化や都市開発を優先する議員、または福祉や教育を優先する議員、環境や行政システムを優先する議員などがいます。地域政策を作ろうとすると、同一分野の議員がグループを結成する場合、優先分野が異なる議員がお互いに補完し合いながらグループを結成する場合などが想定されます。そこには地域政党、つまりローカル・パーティーが生まれる素地があります。設立されたローカル・パーティーから首長候補を擁立することも可能となり、そのパーティーに所属する議員が議会で過半数を占めれば、首長提案の議案を否決することも可能となります。つまり、二元代表制でありながら実質的な議員内閣制となる訳です。
 それでは二元代表制の意義が薄れるという意見もありそうなので、私がかって自費で自治体議会政策学会(竹下譲会長)の行政調査に参加した、英国グリニッジ区議会での視察内容に触れます。英国の地方議会は完全な議員内閣制で、労働党議員が過半数を占めて政治的な主導権を握っています。ですが長期政権に伴う安住感からか、当のリーダー議員に地方行政に対する当事者意識と責任感や切迫感はまったくありません。そして英国の地方自治体は、自らの意思で行政を劇的に変化させることが制度上できない仕組みになっていました。
この弊害を避けるために、英国は各地方自治体が市民の発意により、従来の議員内閣制か、それとも二元代表制かを選択できるようにしましたが、首長を直接選出する制度を採用した自治体は極めて少なかったようです。この時点では、英国の市民は労働党のブレア政権を支持し、地方議会においても劇的な変革を望まなかったようです。
いずれにしても、二元代表制は首長と議会が常に緊張感を保持することが可能であり、ドラスティックに行政を変革できるという利点があると、私は考えています。反面、横山ノック元大阪府知事のような首長が選出されるリスクも十分に残されています。
 
そこで再度、現在の選挙が形骸化されているのではないか、本来選ぶべき政治家を選出するシステムになっていないのではないか、という問題にぶつかります。
行財政改革の第一次改革が地方分権一括法施行による分権であり、第二次改革が三位一体改革による財源の移譲であり、第三次改革は地方自治の再構築だと言われています。第28次地方制度調査会は、現在地方自治の本旨のうちの「団体自治」を検討しており、EUの「近接及び補完の原理」に基づき基礎的自治体、大規模都市、道州制を整理し、この4月から道州制の中身と「地方議会のあり方」の検討を行う予定と聞いています。そこでの議論で、議会のあり方や今後求められる議員像が明確になれば、制度的に議員の身分も少しは変わるのではないかと期待できます。しかし、もう一つの地方自治の本旨である「住民自治」、つまり住民代表の選出と住民の権利義務の検討はこれからです。さらに、地方自治の根幹をなす公職選挙法が再設計され施行されるのは、まだまだ先のことになりそうです。

4月8日、多治見市議会は議長の指示により「多治見市議会・政策研究会」を立ち上げました。その目的は、従来の会派を超えて地域の政策を研究し、議員の政策立案能力の向上と住民福祉の向上を目指すものです。当面は市長が9月議会で提案予定の「自治体基本条例」の検討を行いますが、研究課題は自由です。発足時の会員は、24名の議員のうち7名(保守系2名、民主系2名、新人議員2名、市民ネット1名)で、保守系の正副議長が顧問に就任しています。
この政策研究会の設立は、私が昨年の9月議会で質問した「市長が提案する自治体基本条例は行政基本条例なのか、それとも自治基本条例なのか」の内容や、議員に対して「議会は自ら議会基本条例を制定する必要がある」と呼びかけたことが伏線となっています(詳細はHPの「3期目の活動」→「平成16年度、9月議会、一般質問」→「(仮)自治体基本条例は二元代表制を考慮していないのではないか」を参照)。
現在、私は3期目の保守系無所属議員(いずれの党籍もなし)で、「市民クラブ」という9名の最大会派の会長(実力長老は他に居ますが)を勤めさせてもらっています。昨年来、流山市の松野議員やお隣の可児市の可児議員から触発を受けて、多治見市でも国会のセントラル・パーティーに対するローカル・パティーの設立を模索しました。しかし長老議員や県議会議員(他市)は地域政党という名称に拒絶反応を示し、地域政策立案の入り口にさえ入れない現状があります。この反応は自民党、民主党、共産党のいずれの議員でも同じです。このため、現状ではセントラル・パーティーを核とした会派では、地域政策や地域政党を作ることは難しいと判断しました。そこで、まず政党色を薄めて会派を超えた議会内の政策研究会を設立し、政策研究・立案の実績を作ることを優先させることとし、議長と議会事務局長に相談したことが、今回の「多治見市議会・政策研究会」発足の背景にあります。
図らずも最初の会議で座長に選出されましたので、その時の就任の挨拶を添付いたします。ご参照下さい。今後は、この政策研究会を母体として地域政策の立案、強いてはローカル・パーティーの設立を目指したいと考えていますが、このような専門性の高い活動を、これからどのように市民に拡大して行けば良いのかが、まだ見えていません。運営委員の皆様のお知恵を拝借できたらと期待するものです。

以上

 長文のメールを最後までお付き合いしていただき、心から感謝を申し上げます。

 

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