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5次総の反対討論(私案)


私は、9月議会において閉会中の継続審査となりました、議第93号多治見市第5次総合計画(以下、単に5次総と呼びます)に対し、反対討論を行います。政府は、来年の1月6日から施行される中央省庁等の改革に伴い、全省庁で、行政の説明責任を果たし、効率的で質の高い、成果重視の行政を目的とした政策評価を一斉に実施することを決定しています。このような情勢と時代背景を先取りし、多治見市の人口の半分にも満たない宮城県岩沼市では、市民意向調査をもとに成果指標を作成し、市民満足度調査で行政評価を行おうとする第三次総合発展計画を、平成8年度から、すでにスタートさせています。 一方、多治見市では、2年前に執行部が5次総に着手いたしました。私はこの間、様々な議論やいくつかの提案をしてきており、その結果、基本構想の中に首都機能移転や大学の立地検討などの提案が盛り込まれるといった前進はありました。しかし、現情勢と今後の時代推移を考慮しますと、この度の多治見市の5次総は、向こう10年間の計画としては、基本的な考え方と内容に問題があり、不備も多く、結果としてやむなく反対せざるを得ないと考えるに至りました。ただし、今後提案されるであろう年度予算や補正予算、及び決算などの議案については、それぞれに市民の日々の生活に欠かすことの出来ない事務事業が含まれているため、私はその都度、是々非々のスタンスで臨む予定であります。なお、個々の具体的な計画についての不備や問題点は、一般質問や本会議での質疑、及び5次総特別委員会で指摘しましたので、ここでは言及致しません。ここでは、5次総の基本構想をめぐる問題点について明らかに致します。

まず、5次総は、総合計画として具備すべき内容に不備があります。5次総を策定する際に、市は法政大学の松下教授に指導を仰ぎました。これに応えて、松下教授は、5次総の計画モデルを初めとする様々な提案をされました。しかし、それにもかかわらず策定された5次総は、提案された計画モデルのうち、大切な市民自治システム、計画の戦略的展開、地域整備計画、財政・用地計画、国に対する施策などの5つの内容が、すっぽりと抜け落ちています。次に、今回の5次総は10年前に策定された4次総と比較した場合、若干前進してはいますが、その前進は卑近な言葉に例えますと、4次総が「実施したい」という願望の計画であるのに対し、5次総は「実施します」という決意の計画に変わった程度であります。つまり、5次総は従来からの実績主義に基づいており、市民が希望し、政府が実施しようとしている成果主義に基づいて策定されたものではありません。
さらに、5次総は各種事務事業において、普通事業、重要事業、新規事業の識別がされていないばかりか、各事業の短期、長期の区分もありません。また、唯一の優先順位を示す実施計画や展望計画を見ても、実施時期の選定材料となる市民ニーズの大小や、財政的要素、及び他の計画や他の機関との整合性などから、具体的に割り出すといった現実的な優先基準が示されていません。
したがって、5次総で唯一の優先順位を示している実施計画や展望計画においても、市民に対して納得できる説明責任を果たしているとは言いがたく、事業の優先順位は、市長と事務局が恣意的に決めた、と市民に受け止められても仕方がない計画になっています。
そして最も重要なことは、5次総に市民を納税者である顧客と位置付け、顧客満足度を高めるという志向が認められないことです。さらに、地方分権段階・都市間競争の時代を迎え、東濃のリーダーとしての自覚や先駆性、また東濃の中核都市としてどのような街を目指すのか、かつ市民のための行政サービスをどのレベルまで引き上げるのか、といった長期的観点も残念ながら見当たりません。

以上のように、今回の5次総は、総合計画として具備すべき様式や、計画立案の柱ともいえる基本的な考え方に、それぞれ不備や問題があります。さらに、5次総の内容を精査いたしますと、様々な問題があることが分かります。以下、内容に関する7つの問題点について順次述べます。


第一に、何よりも5次総の土台作りとして不可欠である、4次総の本当の意味での総括がなされていない、ということがあります。事務局は討議課題集の中で、4次総の後期視点別総括の章を設けていますが、個別事務事業の反省の域を出ておらず、多治見市の政策体系や戦略的施策、及び個々の行政サービスのレベルアップといった観点からも、総括はありません。そのことは、事務局自らが、4次総が目指すべき数値目標を持たなかったために、総括できるような計画になっていないことを率直に認めています。

そこで第二の問題ですが、そうであれば尚の事、4次総の教訓から導き出された5次総の計画作りがなされなければならない筈であります。多治見市の現状を分析し、他の都市に比べて何が足りて何が足りないのか、また、市民は何を望んでいるのかを明らかにしなければなりません。さらにこれらの現状分析は、市民の合意を得るために、分かり易く、判断し易いものでなければなりません。このためには出来るだけ数字を用いた客観的評価を計画に盛り込む必要があります。しかし、5次総のどこを見ても、多治見市の客観的な数値による評価が計画の基本となっている項は見当たりません。つまり、政策を立案するための客観的な指標がなく、これでは多治見10万市民は地図や羅針盤のない10年の船旅に出ることになり、5次総の総括は4次総と同じ轍を踏むことになります。

第三の問題は、計画の策定経緯つまりプロセスであります。5次総では行政への市民参加を進めると謳っています。そこで市長や事務局は、この度の5次総策定においても、初期の段階から市民の参加を進めてきた、と自負しておられます。
しかし5次総の策定に参加した市民は、審議会や市民委員会及び市民懇話会のいずれを見ても、市長と事務局が選出した市民が殆んどです。その数は総数78名の各種委員からなりますが、公募の市民はたったの3名でありました。このような市民参加の形態を、私は市長のトップダウンによる市民参加と呼んでいます。
これに対し、真に市民が求めているのは、市民自らの手によるボトムアップの市民参加であります。事務局は5次総の策定に2年間の歳月をかけられました。この2年間にボトムアップの市民参加制度を模索し、制度化して、実施することがどうして出来なかったのでしょうか。もし、今回の5次総がより広範な市民参加によって策定されたものであったのなら、21世紀初頭の10ヶ年計画に、市民自らが意とするものを策定したという自負が芽生え、完成した5次総に対する市民の合意は、はるかに容易であったはずであります。

第四の問題は、5次総の目指すべき将来像であります。将来像は「市民の鼓動が響く街」で、市民とのパートナーシップ、つまり行政への市民参加を最も大きなテーマとして目指しています。しかし、一般質問でも再三再四指摘して来ましたが、市民は、現状においてそのようなことを第一義的に望んでいる訳ではありません。これは、5次総策定のために実施した、3,000人に対する市民意識調査の結果からも明らかであります。
市民意識調査の結果によれば、市民は道路網の整備や、ごみ処理対策の充実、そして自然環境の保全などの具体的な行政サービスの充実を最も望んでいます。市民が要望する優先順位を見れば、行政への市民参加が最優先課題になることはあり得ず、市民参加は、どちらかと言えば、市長と事務局の希望であります。つまり、5次総の目指すべき将来像と、市民の要望がミスマッチを起こしており、整合していないのです。どうして、このようなことが起こったのでしょうか。この素朴な疑問に答えるための、説明責任を果たす記述も、5次総にはありません。

第五の問題は、目指すべき将来像と、行政的使命が混在しているという問題です。すなわち、多治見市が将来進むべき方向の政策と、市民の日常生活に必ず必要とされる行政サービス、といった異なるレベルの内容が識別されていないのであります。しかも、それらは殆んど優先順位もなく、羅列されています。つまり、5次総は個々の事務事業の計画を、単純に集めて束にしたようなものになっており、そこには、多治見市をこのような街にしたいというポリシーに基づいた政策体系も、戦略的施策もないのであります。市民にとって今回の5次総が夢の持てるものになっていない、と考える理由がここにあります。
現在、東京都も長期計画を策定中でありますが、そこでは、目指すべき将来像を、シナリオの手法を用いて、50年後の望ましい東京都の姿として描いています。一方、行政的使命はベンチマークスという手法を用いて、10年後の目標とする行政サービスを数値で示しています。また、前述した岩沼市では、50年後の将来像をいくつかの施策別成果指標として示し、平成8年から始める第三次総合発展計画の10年間を、50年間の通過時点と位置付けて、行政評価を行おうとしています。人口が多治見市の半分に満たない岩沼市に出来ることが、どうして、多治見市では、実施出来ないのでしょうか。

第六の問題は、計画を実現させるための具体的な方法が示されていないという問題であります。計画を実現するためには、多治見市が持つ人、物、金、情報などの経営資源をどのように駆使して、実行するかのプログラムが必要でありますが、5次総には、そのプログラムがありません。執行部はプログラムを実行計画の中で示したいとの意向でありますが、議会で審議している現時点でも、議員に対するプログラムの提示はありません。行政が現金主義の単年度会計の条件下に置かれているために、やりにくいという側面を理解しつつも、最上位の計画として、プログラムの概要は示すべきであります。でなければ、議員としての責任ある審議は難しいと考えています。

以上、主に政策評価に関する問題について6点述べました。最後に、執行評価に関する問題について指摘いたします。
4次総は願望の計画であったために、総括、つまり執行評価できるような計画になっていなかった、という苦い経験があります。これに対し5次総は「何々を実施します」という決意表明の計画です。この計画は実施するか、しないか、つまりオール、オア、ナッシングの計画であります。オール、オア、ナッシングの計画は、後に執行評価を行うことを前提にすると、財政の負担も大きいが市民にとって夢のある計画や、優先順位が高いにもかかわらず5次総の期間内には完成しそうもない計画は、初めから提案しない、という欠点を持っています。すなわち、5次総は「期間内に出来そうなものだけを提案する」という、市民にとっては大変夢のない、小振りで近視眼的な計画になっています。これに対し私は30年後、または50年後の多治見市を想定し、目標を高く設定しながら、5次総での10年間では全体の目標のうち、例えば、20%とか、30%まで実施します、という計画にすべきだと考えています。そして目指すべき目標は、市民を納税者である顧客と見立てて、出来るだけ市民の立場に立った、市民満足度を高める、客観的な数値目標で表示すべきだとも考えています。つまり、繰り返しになりますが、従来の実績主義から市民満足度を志向した成果主義への計画変更を行い、具体的には、ベンチマークス方式を導入して行政の執行評価を行うべきである、と考えています。以上、計画の基本的な考え方に関して4点、内容に関して7点の問題を指摘いたしました。

今回の5次総は、総じて個々の事務事業や市民の要望を、自治省が推奨する5つの視点別に整理したものです。長期的な計画としての政策的な体系もなければ戦略的施策もない、単なる158の事務事業からなる基本計画の束と言うべきもの、と私は評価しています。そこには西寺市長のビジョンもリーダーシップも認められません。私は、昨年の基本構想の素案が公表されて以来、事ある毎に、これらの問題点の重大さを指摘しつつ、常に対案を示して来ました。しかし、市長と5次総の事務局は、対案に対して真摯な反論も試みないばかりか、当初の枠組みを変える試みも行いませんでした。私の指摘に対し執行部が「我々は5次総について、このように考えて来た」、との頑なな答弁に終始されたことは、誠に残念と言わざるを得ません。
私は、市長と事務局が「多治見を変えるため」に様々な困難を覚悟で、高い目標計画を掲げ、敢えて挑戦される決意であれば、例えその計画が不十分であろうとも最大限の応援と協力を惜しむものではありません。しかし、最初から低い目標を設定し、しかも、その計画に様々な不備や問題が認められれば、審議機関の一員として、今回の5次総を承認することは出来ません。


以上で、私の5次総に対する反対討論を終わります。

 

 
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