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美しい風景づくり条例に対する反対討論

今議会に提出された「議第9号 多治見市美しい風景づくり条例」に対する反対討論を行います。 本条例の問題点は、本会議の質疑の場で述べました。ご答弁も頂きました。

多治見市における景観条例の必要性は、以前から私自身も認識していました。そのような観点から、条例の制定は早ければ早いほど良いと思いますし、条例に不備があれば必要に応じて改正して行けば良い、という執行部のご意見も理解はできます。しかし、その事を強調しすぎれば、どんな不十分な条例も制定が可能となります。私は、本条例が以下で述べる四つの理由により、今議会で制定することは時期尚早であると考え、反対いたします。

まず、第一の理由として、名は体を表わすと言いますが、本条例の名称は目的とするものを適切に表現しているとは言えず、読み手に誤解を与えやすいものであるという点です。本条例の目的は、自然界と人間界のことが入り混じっている現実のさま、つまり景観を整えることです。しかし、条例の名称に使われている「風景」という用語は、風景写真とよく使用されるように、もっぱら自然界のさまのみを指し、人間界のさまを含むことは、殆んどありません。美しい風景づくり条例という名称は、自然を美しく整えるのだ、という強い印象を市民に与えます。そのことは、条例のもう一つの目的である人間界のさま、つまり市街地のまち並みを整えるという意識を希薄にしています。それが証拠に、条例は街並みを最も醜くする人間界のさま、すなわちポイ捨てを含む不法投棄については、一言も言及していません。繰り返しになりますが、私は今回この条例を制定する主な目的は、市街地の街並みを整えることだ、と認識しています。そして、自然をも対象にするのは、あくまで街並みの中に含まれている背景を整えるためだ、と捉えています。何故ならば、背景となっている自然環境の保全は、より上位の環境基本条例によって、既に担保されているからです。多治見市の美しい街並みとその背景をつくりたい。本当にそう願うのであれば、条例の名称は言葉を飾らず、目的とする意味を率直に伝える正しい用語の「景観」という言葉を使うべきだと考えます。

反対する第二の理由は、条例の中身が不十分なためであります。条例は全部で39ヶ条の条文からなりますが、それらの条文の約4割にあたる15ヶ条の中身が規則で定めることになっています。15ヶ条の規則で定める事柄には、大規模な行為の風景基準や風景づくり推進基準、及び施設所有者に対する協力要請と立入調査、指導・勧告・公表などがあります。つまり、これらを分かりやすく言い換えれば、美しい街並みとはどのようなものを指すのか、どのようにして美しい街並みを作るのか、何をしたらいけないのか、条例に違反したらどのような措置を受けるのか、などです。これら、規則で定める事柄は、条例の最も大切な核心を占めるものです。これらは市民の最大の関心事で、しかも市民の合意が必要な事柄であります。その大切な事柄が条例にも解説文にもなく、規則で定めることになっています。このため、議会は条例を制定しようとする今定例会において、肝心な中身を検討することも、討論することもできませんでした。どのような街並みが美しいのか、どのようなことをしてはいけないのかは、議会で議論し、少なくとも執行部と議会の間で進むべき方向、つまりベクトルを合わせておくべきです。

反対する第三の理由は、今回の手続きが認められ、慣例化すれば、将来議会が空洞化する恐れがあるためです。執行部は、まず条例を制定し、風景審議会を設置する予算を担保し、風景審議会の中で15ヶ条の規則を定める、つまり、今述べました条例の中身を決める、と言っています。執行部側の動機と手続き論は判りますが、しかし、本条例案は、既にどこかの予算を使って懇話会で策定しています。にもかかわらず、それに付随する規則は、条例によって予算を担保しないと作れない、とする手続き論は説得力に欠けます。それは執行部側の論理であって、到底市民に理解できるものではありません。しかも、先ほど述べた規則で定める内容を考慮すれば、その内容こそが議会で決める事柄であります。それを議論しないと言うことは、議会軽視そのものであり、この事例が発端となって、将来議会が空洞化する恐れがあると考えても、不思議ではありません。

反対する第四の理由は、前文の文言が将来に禍根を残す可能性があるからです。前文には、「しかし、過去には、焼き物の産地として粘土の採掘や樹木の伐採が進み、周囲の丘陵地が禿山と化した時期もありました。現在ある緑は、荒涼とした山を市民の力で植林して復元されたものです」とあります。 二つの文章は禿山という用語が気になりますが、それぞれ歴史的事実が記述されていることは確かです。しかし、執行部が主張するように、この文章から窯業界の過去の偉業を称えているとは、到底読み取れません。恐らく、この二つの文章から受ける印象は、「地場産業の窯業界が樹木を伐採して周囲の丘陵地を禿山にしたが、その禿山を市民が植林して回復したのだ」、というものでしょう。 市民がこのような印象を持つ可能性のある文章を、条例の前文で使用すべきではありません。執行部は解説文で修正を行うと言っていますが、前文と条文は解説文と切り離されて一人歩きを始めます。そして、それらは他市にも伝わります。前文が多治見市のイメージと地場産業に与える影響は計り知れません。即刻、改正すべきであると考えます。

 以上、私は
@条例の名称が適切ではない
A条例の中身が不十分である
B今回の手続きに基づく条例制定は将来議会を空洞化する恐れがある
C前文は多治見市と地場産業に悪影響を及ぼす可能性がある

 の4つの理由により、本条例に反対いたします。


 

 
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