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平成15年12月1日

「自治・分権に関する海外行政調査」報告

多治見市議会議員 中道育夫

まえがき

私は、平成15年10月1日から同12日にかけて実施された「自治・分権に関する海外行政調査(以下、単に調査という)」に自費で参加しました。この調査は自治体議会政策学会が主催したもので、その内容は1日から7日までが主にデンマークのネストベッツ市で行われた「地方自治体が提供する行政サービス(北欧型モデル)に関する国際研修」の受講、8日から12日までが、主にイギリスのロンドン・グリニッジ区議会などの視察でした。またスケジュールの合間には、デンマークの首都であるコペンハーゲンやアンデルセンの生誕地であるオーデンセ、そしてイギリスのロンドン市内や郊外のウィンザー城などを見学しました。

私がこの調査への参加を決めた動機は次のようなものです。@ヨーロッパの地方自治の現状を把握したい。A欧州連合(以下、EUという)が批准した「ヨーロッパ地方自治憲章」に基づく地方分権がどのような方向に進もうとしているのかを知りたい。B十数年前に初めてヨーロッパに行き、「ここの民主主義は日本の民主主義とどこかが違う」と感じた原因を解明したい。

以下、それぞれについて私なりに理解した内容をお話します。なお、ここでいうヨーロッパとは、私が行った経験のあるオランダ、ドイツ、デンマーク、イギリスなどのことを指しています。

1.デンマーク地方自治の現状 (ネストベッツ市 人口4.8万人の事例)

@ 議会

 デンマークは人口の規模により議員定数が定められており、ネストベッツ市の場合は21名です。選挙は4年に1度の11月に行われ、11月から12月一杯は翌年の1月から実施される新体制を整えるための期間です。4年間、議員はリコールも解散もありません。選挙は比例代表制で政党が優先順位を付けた議員候補者の名簿を発表し、政党が獲得した得票数に応じて上位から順番に当選が決定されます。現在は社会民主党の議員が過半数の11名を占めており、21名の議員の中で女性は5名です。

 日本と大きく異なる点は、市長がこの議員の中から選ばれることです。当選議員が決定しますと、議員の話し合いによって市長と2名の副市長が選ばれます。そして当然とも言えますが、市長は過半数以上を占める政党議員の上位当選者から選ばれます。この市長が自治体の最高責任者となります。市長は常勤ですが他の議員は非常勤で、自らの本職を持っているため仕事に影響が出ないように、議会は1ヶ月に2回、夜19時から22時の間に開催されます。このため、市長以外の議員の報酬は年間160万円程度で、報酬だけで生活をすることはできません。議会は基本的に審議や監査機関であり、議員は名誉職という認識です。

また、議員は専門的な知識を特に必要とせず、審議に必要な資料は執行機関(事務方)がすべて準備するというシステムとなっています。

一方日本の場合、同じ非常勤でも自らを名誉職と考えている議員と、自らを議案審議や政策立案の専門職と考えている議員が混在しています。

余談ですが、これは戦後日本が西欧にキャッチアップしようとして、政界と財界及び官僚の目的が一致し、官僚が政策を立案して財界が富を稼ぎ出し政界が分配するシステムが長く続いた後遺症であると考えています。

1,985年のプラザ合意でキャッチアップを果たした日本は、長くアメリカの庇護の下で行ってきた経済活動を継続することができなくなり、「ジャパン、アズ、ナンバー1」と称されて世界の経済大国と対等に貿易をせざるを得なくなりました。日本の官僚は見本や答えのある問題を解くときは抜群の能力を発揮しますが、答えのない未知の世界の政策を立案することは苦手で、残念ながらその能力は自らの富の分配に発揮されたことは、かっての厚生省事務次官の不祥事でも明らかであります。官僚が日本の針路を指し示さず、財界がバブルに浮かれ、政界が子孫から借金をしてまで分配に奔走し、10年が失われました。

プラザ合意から18年が経過しましたが、未だに政官財の三者は日本の進路に関する共通の目標で合意がなされていません。官僚は国民から信頼をなくしており、財界はバブルの後始末に奔走しており、政界は過去の栄華を夢見る族議員と日本を革新しようとする議員の綱引きの最中です。これらの状況の中から、もう官僚に頼らず自らの審議能力を高め政策を立案しようとする議員が現れ始めました。これらの議員は非常勤といえども自らを審議と政策立案の専門職と考えています。しかしながら、議会の中でも国民の間でも議員が果たす役割に関する合意形成ができていないため、国民は利益供与を行う議員が良いのか、それとも審議能力と政策立案能力に優れた議員が良いのかの間で迷いがあります。その結果、議会には自らを分配者と考える族議員と、審議や政策立案の専門職と考える議員が混在しています。

この状況は中央も地方も基本的に同じ構造であり、議員の役割と責任が明確でないにも拘らず両者の議員は同じ待遇で処遇されており、議員の労力と評価と報酬が連動していないため議員間で悪平等が発生しています。

余談が長くなりましたが、その他の委員会等の議会運営の方法は基本的に日本のものと同じです。

デンマークの地方議会はコミューン・ディレクターを任命することができます。コミューン・ディレクターとは自治体の経営者(社長)であり、議会はこのコミューン・ディレクターとして優れた人材を公募しています。日本にはコミューン・ディレクターに相当する役職がありませんが、強いて言えば助役(以下、コミューン・ディレクターを助役と呼ぶ)です。助役は議会の決定事項に従う必要がありますが、自治体行政の良し悪しは助役の手腕にかかっています。このため、市の部長クラスの年収が500万円程度であるのに比べ、この助役の年収は約2,000万円と破格です。ちなみに市長を兼務する常勤の議員の年収は部長クラスより低いそうです。

A 執行機関

 執行機関の組織形態は基本的に日本のものと同じでが、人口4.8万人の自治体としては職員が非常に多く、約4,000人が働いていること、事務方トップの助役が全国から公募されること、公務員の給与が民間に比較して明らかに低いことなどが異なる点です。職員が多いのは給料が民間より低いことと関係しています。職員が公務員を希望する動機は安定した雇用が期待できることで、民間は高収入が得られますがいつ解雇されるか予測がつかず、職業として不安定なためだそうです。職員が多いので行政サービスはすべて直営で、現業職員が多く、事務職員は全体の1割の約400名です。

 税率は国が20%、県が10%、市が20〜21%で合計51%が源泉徴収されます。ただし国税は累進課税で最高31%まで課税され、国民の最高税率は62%です。これらの税率は何があっても変えないという国民合意のもとに行政が行われています。

国民総生産に占める公共部門の比率は約60%で、そのうちの40%は地方が受け持っています。市がどのような行政サービスを提供するのかは国民議会(国会)が決定し、そのやり方は市が独自に決定します。ネストベッツの年間予算は約23億クローネ(約460億円)で、人口約10.6万人の多治見市の一般会計予算の280億円と比べると、人口比で約3.6倍の予算規模です。

予算の多い順に費目を並べると、高齢者福祉費が21.5%、失業対策兼成人職業教育費が15.9%、教育費が13.7%、保育費が8%などとなっています。助役の言によれば、就業率は男性が82%、女性が73%で非常に高いため、行政サービスを提供する市の役割が明確であるとのことです。ネストベッツ市は完全な内需型の「持続可能な都市」のようです。

 デンマークはすべて資格社会で、性別や年齢による差別はありません。職種と資格によっておおよその報酬が決まっており、市民はひとつでも上位の資格を獲得するために生涯教育を希望し訓練を受講するそうです。教育は小学校と中学校が義務教育で小中一貫教育が行われており、高校では職業訓練を受けるコースと大学を受験するコースに区分されます。18歳で高校を卒業すると一人前の成人として見なされ、親と対等の権利と義務が与えられます。そして、親は18歳以上の子供を養育する義務がなくなり、子供は親の老後の面倒をみる必要は一切なく、国が面倒をみるシステムになっています。

子供が大学に行くと、子供は国から奨学金が支給され税金等も免除されますが、単位を取得する試験に3度失敗すると放校となります。大学では専門の単位を積み重ねて医者や弁護士や経営修士の資格を取得します。この資格がおおよその年収を保障し、医者や弁護士の年収は約1,000万円だそうです。

 ちなみに学校の教師の希望者は少ないそうです。それは公務員で給与が安いうえに子供が相手で職業として魅力に乏しいからだそうです。校長先生の希望者もいないと助役は嘆いていました。しかしながら、別のグループで学校見学した他市の議員の話によれば、少人数教育でかなり中身の濃い学校教育が行われていたとの感想でした。

B 高齢者福祉施設行政

 私のもう一つの目的は北欧型の福祉行政を視察することでした。ネストベッツ市には東西南北に4つの高齢者福祉施設があります。その一つで南部にあるビアケベア・センター(以下、単にセンターという)を視察しました。南部地区には60歳以上の高齢者が約3,500人在住しており、センターはこれらの高齢者の福祉行政のすべてを受け持っています。

センターには高齢者介護用住宅が78戸、ショートステイ6戸、痴呆症用6戸、そして地域開放施設用リハビリルーム、カフェテリア等があります。また介護・補助用具の販売修理センターとボランティア活動センターを併設しています。現在センターには560名が入所しており、その他に70名の待機者がいるとのことでした。

センターでは180名の職員と60名のボランティアが活動しています。職種はセンター長(看護士と管理職の資格が必要で、ここのセンター長は50歳代の魅力的な女性)とソシアルヘルス・ヘルパー(介護と家事援助を行い資格が必要)、ソシアルヘルス・アシスタント(看護士に近い資格)、ヘルパー、理学療法士、作業療法士などがあります。

職員は5チームに区分され、それぞれチームリーダがいますが、基本的に3人の職員で1人の高齢者を介護するシステムとなっています。高齢者との対面時間は1日4時間、1週間の実ケアは27時間で、身体介護と家事援助は同じ人が行います。1週間に24時間以上の介護の必要な人は施設介護が効率的ですが、本人に強要はしないそうです。在宅介護は職員が5台の車、または自転車で通うそうです。

センターは市から1ヶ月に2,300時間の介護を行う予算が配分されており、1年間の人件費は3,600万クローネ(約7億円)だそうです。しかし高齢者の増加に伴って予算の削減がセンター長と議会で話し合われ、年間500万クローネ(約1億円)の削減が決定されたそうです。これにより、従来起床介護と朝食サービスは45分をかけていましたが、来年からは30分のサービス提供になるということでした。

介護用住宅は4階建てのアパート形式と庭付き1戸建て平屋住宅があり、いずれも1人用住宅は2LDK(ただし寝室は12畳から16畳程度の広さ)で賃貸住宅となっており、家具は自前のものだそうです。家賃は所得に応じて変化しますが1ヶ月3,500〜4,000クローネ(7〜8万円)で、年金の支給額が年平均109,000クローネ(月額約17万円)だそうです。朝食は介護サービスに含まれますが、昼食と夕食は給食サービスを各自受けるそうです。長期にわたる介護サービスは無料ですが、怪我などによるショートステイやリハビリティションは有料となります。

全体としてデンマークの施設介護内容は日本のものと大きな違いがないような印象を受けました。しかし、センター全体が広大な敷地の中にあり、各種の施設が整然と美しく配置されており、高齢者は施設の中で時間がゆったりと流れてゆくのを楽しんでいるような印象を受けました。また、センター長が財政的に非常な危機感を持って忙しく働いているにもかかわらず「環境の良い職場で、自分のやりたい事ができて、その上に報酬までいただける今のシステムに満足している」という彼女の感想には羨望すら覚えました。

2.デンマークの地方分権の方向

 デンマークの行政改革は1,970年代から開始しました。1,985年のヨーロッパ自治憲章の批准を経て、1,994年にEUの地方自治に関する白書が完成し、それに基づく改革が2,005年から施行される予定です。2,005年に行われる行政改革の詳細は未定ですが、方向性については明らかになっており、その主な内容について報告します。

 EUの白書は全世界で21世紀が情報化社会になると予測しています。農業社会から工業社会に移行するのに約100年の歳月を要しましたが、工業社会から情報化社会への移行はわずか15年で移行しました。では、その情報化社会とは、どういうものなのでしょうか。

電話は1台では役に立ちませんが、100台、1,000台と数が増えることによって、数多くの人々との情報交換が可能になり有用となり、数が増えれば増えるほど幾何級数的に電話の価値が高まります。同様に、コンピュータは1台では単なる計算機や情報処理機にすぎませんが、インターネットで接続することによって蓄積された情報の交換が可能になり、その有用性はコンピュータの接続台数の増加により幾何級数的に増加します。

 一方、現代の解決すべき問題の多くが、社会の多様な価値観と技術の進歩で細分され深化し専門分野の知識を必要としています。しかし、問題が2つ以上の分野に跨った場合、1人の専門家の考えのみでは的確な答えが出せません。このような場合、それぞれの専門分野の隙間に答えのある場合が多いのですが、それには専門家同士の横のつながりや協力が必要になってきます。つまり現代では、解決すべき課題に1人の専門家だけでは十分な答えを出せる場合が少なく、専門家同士や広範な市民の協力を得て、社会全体で答えを出すシステムが求められています。

 知識や情報を蓄積した無数のコンピュータがインターネットによって全世界で接続され、情報を必要とする市民がコンピュータのネットワークにいつでもどこからでもアクセスでき、市民が必要とする情報を居ながらにして瞬時に安価に入手または交換できる社会、それが情報化社会です。そして、情報化社会に参加し協力し合える人が多ければ多いほど、情報化社会は相乗効果を発揮します。このように情報化社会における行政には、市民の参加や協働が欠かせませんし、また次に述べるように行政の地方分権をも促すことに繋がります。

 情報化社会が様々な変化を促す中で、例えば教育ですが、施設教育から居宅学習に変わり、教師の主な役割は知識を教えることよりも側方から助言する役割に変わります。仕事の仕方はスモールオフィス・ホームオフィスと呼ばれるように、自宅で仕事をすることが可能になり、社員全員が同時出社する必要のないフレックス制が導入される他、高度な専門性が必要となるため人材には知識と資格が要求され、また会社は大きな建物を必要としなくなります。

 さらに、中央から何かを移動するのではなく、自分が居るところで考え仕事をする社会のため、仕事の成果は自分が持つ知識や情報の量と質に左右されます。つまり、情報化社会においては一人一人が幅の広い知識や専門分野の資格が必要なために、継続的な学習と人間教育、つまり生涯学習という人間に対する継続的な投資が重要になってきます。様々な要素数の増加と生涯学習を行う市民の数が増加すると、情報化社会は幾何級数的に発展し、その将来像は予想ができないとされています。

 一方、デンマークは全ての市民に平等の権利を与えています。ですが、全ての市民に平等な行政が全ての市民にとって公平とは言えません。例えば、痛み止めのモルヒネ投与は市民1人1日当たり20_gと決められていますが、病人の容態はそれぞれ異なっているため、患者と医師の協議で各病人の特性に合わせて行う必要がでてきます。また、高齢者福祉サービスの様々な実証実験の結果、市民にとって平等かつ画一的な介護サービスは、個々の高齢者の特性に合わせた介護サービスよりも、結果的にコストが高くなると判明したそうです。

したがって、これからの行政は多様な価値観と異なる専門知識を持つ一人一人の市民を満足させることが必要となり、また逆に一人一人の市民は豊かな社会を構築するため社会にどのような貢献ができるのかが重要な時代を迎えています。その上、行政は個別需要の分かりやすいできるだけ市民の近いところでサービスを提供する必要があり、権限を市民に近い窓口に委譲する必要がでてきました。これが地方分権、いわゆるヨーロッパ自治憲章の中で「補完及び近接の原理」と呼ばれるものです。

このように地方分権は情報化社会の到来によって行政の組織形態や協力体制の議論にとどまらず、仕事に対する考え方とやり方までも変化を促しています。ですから、このような社会を想定すれば、日本の自治体でも地方分権の姿は見えてくるはずです。ただし、具体的な姿はそれぞれの市の特性や市民の需要で異なってくることでしょう。

現在、ネストベッツ市は知識と情報の共通の枠組みを作ってデジタル化を行い、全ての仕事を同じ様式で行い、職員が本当に必要な情報を必要なときに短時間で取り出せるようシステムを構築し、議会や委員会の議事録は市民が必要に応じて取り出せるように整備してあるそうです。しかし、本当の行政改革は2,005年から始めるようで、どのような形になるのかは行政と市民の協力と協議によって決めるとしています。しかし税率だけは変えないそうです。

3.イギリスの地方自治の現状 (ロンドン・グリニッジ区の事例)

@ グリニッジ区の概要

 大ロンドンには33の区がありますが、グリニッジ区は14あるインナーロンドンの1つです。グリニッジ区(以下、単に区とよぶ)は、面積が5000f、人口が21.8万人で、外国からの移民を受け入れており、年間3%程度の人口が増加しています。このため1.5万人の住宅を建設中で、現在25%の市民が公営住宅に居住しています。少数民族の比率は16%で、そのうちインド人が3.4%、アイルランド人が3.0%、カリブ系の人が2.5%、アフリカ系の人が1.9%で、区行政は現在少数民族へのサービスに重点をおいています。

 区はテムズ川に16 q面しており、標高129mのロンドンで最も高い丘を有しており、世界標準時の基準点としても有名です。

A グリニッジ区の問題点

 区には世界標準時という世界遺産があり、年間に300万人の観光客が訪れます。テムズ川沿いではスポーツ施設を運営していますが、この施設の利用率は平均するとロンドンの2倍を誇っています。また区行政の評価基準となっているのがごみの収集作業ですが、ロンドンの中で最も良いと評価されています。しかし一方で、区は教育水準が低いこと、職員が病気で欠勤する率が高いこと、 職員間に上意下達の習慣があること、今まで予算の方針がなく修正主義で行政を行ってきたこと、情報技術(IT)関係に投資して来なかったこと、貧しい地域の住民を仲間としてどのように迎えるのかの方針がなかったこと、などの問題点を抱えています。

B グリニッジ区議会

 区には51人の議員がおり、そのうち38人が労働党の党員です。議員の任期は4年で、選挙は比例代表制ですが一度に全員が選挙されるのではなく、3分の一の議員がローテーションで交替しつつ選出されます。一方、区長は直接選挙で選出されず毎年儀礼的に議員の中から選ばれますが、権限はありません。これは権限を1人に集中させるよりも、多くの議員に任せたほうが良いとの区民の判断に基づくもので、グリニッジ区は議員内閣制を採用しています。余談ですが最近ロンドンの他の3つの区では直接選挙による区長が誕生しています。

さて、議員内閣制は10人の労働党の議員からなるキャビネットと呼ばれる組織で構成されていますが、そのリーダーが実質的な権限を持ちます。キャビネットが区の全体の方針と政策を立案し、それが各種委員会で審議・検討され、また他の議員が検証・監視を行います。議会の運営方法は日本とほぼ同様です。年間の報酬は一般議員が8,500ポンド(約160万円)、各種委員会の委員長とキャビネット構成議員が12,000ポンド(230万円)、キャビネット・リーダーが20,000ポンド(380万円)です。議員はすべて本職を持っており、議員の1週間の拘束時間は一般議員が10時間、委員会の委員長とキャビネット・リーダが20時間程度だそうです。なお法律的には6ケ月に1回議会に出席すれば良い、ということでした。

 ところで、権限のない区長と非常勤のキャビネット・リーダが存在するが、行政の責任は誰が取るのかと質問したところ、分からないという答えが返ってきました。その後、恐らくキャビネット・リーダーか中央の労働党党首が取ることになるのでしょう、という回答でした。

ロンドンでは地方政治は非常勤の市民が善意で行うものであり、市民代表の議員が議論して決定したことは市民全体の責任である、という基本的な合意が潜在的にあり、責任は誰からも問われないようです。そこには政治家や官僚などのリーダーは、市民の期待に沿って努力しており、悪いことはしないという市民の信頼があるよに感じました。ちなみに有権者の5%が要求すれば、法律上は権限と責任を有する市長を選出しなければなりませんが、誰も要求しないそうです。

C グリニッジ区の執行機関

 地方税は市民1人あたり年間1,000ポンド(約20万円)と決められており、区の支出総額の25%を賄います。国から総額の50%が、会社から残りの25%が税金として納入されます。

区の年間の予算は300百万ポンド(約580億円)で、そのうちの79百万ポンド(約150億円)が社会福祉費です。グリニッジの人口は多治見市の約2倍であるにもかかわらず予算規模はほぼ同じです。しかし、福祉費は多治見市の約2,5倍となっています。

区からはボランティア対策費として1.3百万ポンド(約2.5億円)を支出しますが、国からも1.7百万ポンド(約3.3億円)支給されますので、ボランティア団体は年間3百万ポンド(約6億円)の交付金を受け取ることになります。

行政の執行はチーフ・エクゼクティブ(前述したネストベッツ市の助役と同じ役割)を介して行われます。助役は多くの職員を使って行政を行いますが、議員は助役の仕事のやり方に口を挟むことができません。あくまでも結果だけが問題になります。優秀な助役を確保するために、区は新聞に広告を出して候補者を公募し、7人の議員が面接し採用を決定します。一般に助役は元公務員が多いそうで、現在の助役はロンドン区の社会福祉局長を務めていた女性で、年収は20万ポンド(約3,800万円)だそうです。

D 国の地方分権とグリニッジ区の対応

 2ヶ月前に地方自治法が改正され、国が地方分権を進めた結果、地方自治体はより弾力的な行政運営ができるようになりました。これに伴い税源も移譲されましたが、反面警察や医療の事務も委譲されました。また国からは、行政サービスを時間外でも提供せよと指導が出ていますが、実現は難しい課題です。このままでは、期待された行政サービスを区が提供できるか否かが心配です。今まで区は行政の手続きを重視してきましたが、これからは民営化を促進して結果を重視する方向に変えざるを得ません。

区民からは年間1,000ポンドに見合うサービスを提供しているのかという疑問も上がってきています。しかし選挙の投票率が30%程度に下がっているように、行政に対する市民の関心が薄れている現在、なんとか市民の行政参加を促しつつ、縦割りの行政を横断的に見直して、できるだけ市民の期待に応える努力をしたい、との話でした。

4.ヨーロッパと日本の民主主義の違い

 誤解を恐れずにいえば、ヨーロッパの民主主義が個人対個人の関係で成立し大変成熟しているのに対し、日本の民主主義はまず集団対集団の関係で成立しており、個人の民主主義はその属する集団の価値観によって決定付けられているため、民主主義の進化が遅れているというのが私の理解です。

これは、ヨーロッパの行政が市民一人一人に焦点をあてて施行しているのに対し、日本が世帯・住民・会社・組合・経営者・業種などの集団に焦点をあてた行政を長年継続してきたことに原因があると、私は考えています。

日本では行政と向かい合うそれぞれの単位の集団に、富の分配方法や内部の公平性までも任せられてきたため、「郷に入れば郷に従い」「和をもって尊しとする」などとした「全員一致」を強要し、利害を基軸とした対外的に強固な集団を構築することに意を注ぎ、それによって自らの利益誘導を図るという価値観で存続してきました。

こうしたことから、利害が異なる集団や立場が異なる集団同士が、ある目的を持って合意形成を図ろうとしても極めて困難なことが多く、いきおい力任せや根回しによる多数派工作での利害調整が優先し、本来あるべき姿などの根源的な議論のない、見せ掛けだけの合意形成が図られるということが大変多いのであります。

そこには利害や立場の異なる集団的価値観を超越し、自らが参加し行動することによって社会全体としての最適な姿や理想像を目指す、といった一社会人としての自覚や責任感を伴った発想がありません。たとえば、国の各種委員会の委員などを見ても、多くは利益誘導団体の宛て職であり、資料を提供する事務局でさえ官僚の利益代弁者です。このため、国民の生活を左右する重要な案件が、委員会で本質的な議論がなされないばかりか、形式的に議論をしたという証拠を残すためのアリバイ作りとして利用される機関と化しています。

一方、集団傘下での個人は、その多くが属する集団に迎合や依存することによって自らの安寧と存続を図ってきました。このため、社会を形成する一個人としての力量(情報収集力、情勢分析力、政策立案力、判断力、発言力、行動力、責任感など)を学習し、かつ鍛えることが著しく遅れました。

 日本の「失われた10年」は、このような民主主義進化の遅れによって発生したと、私は考えています。西欧へのキャッチアップを成し遂げ、情報化社会を迎え、日本は好むと好まざるにかかわらず国際化を進めざるを得ない状況になりました。これからの国民一人一人は従来の効率的な集団主義的社会にだけに依存するのではなく、つまりムラ社会のボスから利益配分や情報を得るだけではなく、インターネットによって全世界から必要な情報を入手し、自らの判断で自らの人生を切り開くような社会を構築する必要に迫られています。そして、家族や住民、また会社人間などの利益誘導集団の一員としてだけではなく、一市民として自らの意思で必要な情報を入手し、学習しなければなりません。また、社会的にも自らの人生を自己決定し自己責任が取ることができるような様々なシステムが必要となっています。

従来のしがらみから離れ、自立した市民がキャッチアップ後の日本のあるべき姿について議論し、国民的な合意形成を図ることこそ、日本の民主主義が成長して行く第一歩になると考えています。また、行政はこのような市民に焦点をあてた政策を立案し施行することが、いま求められていると考えます。

@ ヨーロッパ型行政の特徴

 例えば、デンマークの平均的な人の一生は、生まれてから保育され必要な教育を受け。18歳で成人して就職または大学へ進学し、結婚して愛情をはぐくみ子供を生み育て、働いて自己実現を図り、老齢期を迎えて生涯学習に励み、人生の終りを迎えます。行政は人の生涯のそれぞれの段階で何が必要かを見極め、必要最小限の行政サービスを個々の市民に提供し、余計な世話をせず自立することを促し、それ以外のことは市民個人の責任で行うことを基本として、そのための教育、福祉、労働、産業、情報、外交政策を立案し施行しています。

このような行政を支えているのは、国民総背番号制度と源泉徴収制度及び税率51%の税金です。しかし彼らは個人情報が悪用されるとか、大きな政府か小さな政府かなどを意識したことはなく、基本的に行政と市民との関係が重要で、市民に必要なサービスを最も効率的・効果的に提供できるシステムを追求した結果、現制度になったと主張しています。

 これらの行政によって、デンマーク国民は子供を生むことや老後の不安を覚えることなく、また男女参画社会を意識することなく、歴史上経験したことのない豊かな生活と自己実現を図る人生を楽しんでいると自負しています。

また、この社会を支えている基本的な思想は、高い教養に支えられた市民同士の信頼と社会システムに対する信頼です。少なくとも地位の高い人が汚職を行ったり、大きな政府が腐るという発想はないようです。信頼こそが人間社会を最も効率的に運営する手段であり、市民を幸せにする要諦だと考えているようです。

A 日本型行政の特徴

 日本の行政は直接市民個人に対して行われるのではなく、基本的に集団を介して行われています。例えば、住民基本台帳はある地域を単位として世帯毎に纏められており、行政は地区と世帯主を主な対象として施策を執行しています。原則として妻や子供及び老人は世帯主の扶養家族として扱われており、一個の人格を形成した市民としての扱いを受けていません。もちろん妻や子供や老人に対する個別政策は存在しますが、それは世帯主行政に対する補完的政策であり、少なくとも彼らを自我の有する一個の市民として見なした政策体系は確立されていません。そのことは地域の町内会・自治会、会社の労働及び賃金体系、各種社会保険など、すべての社会システムが世帯主を単位に制度化されていることからもわかります。

そのため世帯主は家族の長として社会に最適合する責務があり、家族は世帯主に全面的に協力することが暗黙のうちに義務付けられており、家族は世帯主に全面的に協力することによって、自らの存在と富の分配が認められています。したがって、甲斐性のある世帯主は富の分配を背景に家族に対し「郷に入っては郷に従え」と「和をもって尊し」の道徳を使い分けて支配し、言うことを聞かない子供を勘当(ムラ社会では村八分)することができました。

しかしながら、西欧へのキャッチアップを成し遂げ富の配分が平準化した現代では、甲斐性のある世帯主への価値観が付加価値創造型から対人交渉術型に変化したために、まじめにコツコツ働く親父は家族(特に妻や子)からダサイと評価され求心力を失い、急速に家庭の崩壊が始まっています。また世帯主に対する家族の評価が、父親や男性(またはパートナー)及び就労者としての良し悪しの評価よりも、世帯主として「頼りになるか否か」という評価が優先する社会では、男女参画社会の実現も難しいと考えます。なぜならば「頼りになるか否か」の評価では、評価する側に家族の一員としての能動的な主体性がないからであります。

他人に必要とされる人間になるために努力するのではなく、付加価値を生み出す努力をするのでもなく、また社会の発展に寄与するために努力するのでもなく、対人交渉術に長けた人のみが評価される社会は滅びると思います。人の一生において、何が大切で何が尊いのかを再検討し、それを基軸に社会のシステムを再構築する必要があります。掟で守られたムラ社会のぬるま湯がいくら居心地よくても、国際化、規制緩和、情報化の世界では人生の幸せと自己実現を掴むことはできないと考えます。

話が若干それましたが、いずれにしても日本の行政は利害や立場が異なる集団同士の利害調整を旨としており、大きな政府か小さな政府かの将来像の議論もなく、良いとこ取りの折衷案と妥協の積み重ねで行われています。その結果、日本は世界第2位の経済大国であるにもかかわらず、国民は質の高い豊かな生活を実感できない現状に甘んじています。この現状は富の配分方法や合意形成の方法に問題があるためであり、従来の既得権者同士や立場が異なる集団同士の利害調整の方法がいかにコストのかかる、またはロスの多い合意形成の方法であるかを示しています。したがって、私はできるだけ早い時期に民主主義を集団評価型から個人評価型に変える必要があると考えています。そのため当面、政府の地方制度調査会が答申した「地域自治組織」を活用しながら、住民自治が市民自治となるような政策体系と個々の施策を立案する必要があると考えています。

あとがき

 今回、デンマークのコペンハーゲンとイギリスのロンドンの街を歩いてみて、若干の違いがあることに気がつきました。コペンハーゲンは人口約50万人の首都ですが、街は静かで人々は落ち着いた生活を営んでおり、街全体がごみもなく綺麗です。これに比較して、ロンドンは喧騒と活気があり、以前よりは少なくなったそうですがごみが散見されます。

どちらかといえば同じヨーロッパでも、コペンハーゲンは信頼にもとづく福祉国家の街であり、ロンドンは自由と民主主義の街のような印象を受けました。しかし政治家や行政の仕組みに対する基本的な考え方は、両者とも同じのようです。

コペンハーゲンのある島全体をバスで横断しましたが、島は地質学でいう洪積世台地からなり、島全体が平坦で構造物を支持する地盤としては良好です。このため都市基盤を整備する条件は日本よりはるかに有利であり、安いコストで基盤整備が可能です。しかし、このような条件を差し引いても、美しい市街地の街並みや美しい田園風景(田舎の一軒屋にも電気・ガス・上下水道が地下に埋設されて整備されている)を見ていると、デンマーク人がいかに美しく快適な居住環境を創出するため、都市計画に腐心しているのかが伺われます。

基本的にイギリス人も同様な考え方をしているようで、ロンドンの郊外にあるヒースロー空港周辺の街並みを飛行機から眺めると、住宅が見事に整然と配置されており、美しく効率的に都市の基盤が整備されています。ロンドンの市街地には戸建の住宅はなく、再開発地区のドッグ・ランドを除けば、土地を有効に活用するために高さを制限した4〜5階建てのマンションが整然と配置されています。また1,800年代のロンドンの住宅は木造でしたが、火事のため市街地の大半を焼失したことを反省し、それ以降は耐火構造の石造りの集合住宅を建築して今のような石造建築物の市街地になったようです。

どうもヨーロッパ人は「土地が公のもの」という共通の認識があるようで、個人が土地を勝手気ままに自由に利用して良いという発想がないようです。多治見市もこのような発想に立ち、市民と合意形成を図りながら都市計画を策定し、子孫に誇れるような美しく安全快適で効率的な街並みを構築したいものです。

以上

 

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