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平成18年8月31日
市政トピックス(最新順)

 

<自治体学会が横浜で開催>(‘06年8月)

 8月24日、第23回全国自治体政策研究交流会議が神奈川県民ホールで開催され、翌25日には、第20回自治体学会・神奈川横浜大会が同会場で開催されました。前者の題目は「自治のかたちを問い直す〜暮らしからみた地方分権」、後者の題目は「市民の政府を創る」です。いずれも重要かつタイムリーな会議なので、中道議員も私費参加しました。ここでは、それぞれの主な内容を報告します。

第23回自治体政策研究交流会議・記念座談会
 座談会の目的は地方分権改革の総括を行なうとともに、更なる進展に向けて何が必要か、どうすべきかについて総括的な議論を展開することです。出演者は新藤宗幸氏(千葉大学法経学部教授、以下単に新藤教授という)、西尾勝氏(東京市政調査会理事長、以下は西尾理事長)、松沢成文氏(神奈川県知事、以下は松沢知事)、渡邉美樹(ワタミ(株)代表取締役CEO、以下は渡邉社長)の4名で、司会は新藤教授です。
(新藤教授) 自治体学会は20年前に横浜で発足した。当時は国の機関委任事務が廃止されるとは誰も考えていなかった。当時、知事の仕事の7〜8割は国の仕事で、県民の仕事は2〜3割であった。それがいま逆転しようとしている。第一期分権改革では、分権推進委員会委員だった西尾理事長が活躍された。その時の状況を話して欲しい。
(西尾理事長) 分権の背景には、@国民が豊かになってナショナルミニマムが達成された、A政治経済の全てが東京に一極集中しすぎた、B人口減少・少子高齢化が到来したため、世の中が大きく変わる必要が生じた。そこで当時の細川内閣は「規制緩和と地方分権」を掲げ、‘93年には国会で「地方分権推進決議」が行われた。それを受けて、’95年に地方分権推進委員会が開催された。委員会の方針は、@地方自治体が何を望んでいるのか、A地方の要望を中央省庁にぶつける、B自治体への国の縛りをなくす、などであった。分権改革は自治体を自己決定・自己責任に近づけることが目標だが、中央省庁の「通達」を「助言」に変えたことが最大の成果だ。後日、緒方虔委員長は、「分権改革のベースキャンプを築いた程度にすぎない」という感想を述べておられた。
(松沢知事) 分権改革は権限移譲だけでなく税源移譲を伴わないとダメなので三位一体の改革を進めた。しかし例えば義務教育費のように目標額を獲得しても、官僚は自らの権限を手放さないため地方の裁量権が増えなかった。原因は決定する土俵に官僚と国会議員が居るだけで審判の行事がおらず、当事者の地方六団体は傍観者のままで決定権を持っていなかったからである。今の体制では地方が決定に参加することができず分権改革はできない。二度と同じ失敗をしないように新たな地方分権推進法を作りたい。
(渡邉社長) 政治や行政は分からないので経営者の立場で話す。分権改革は総論と各論が異なることが問題だ。総論は賛成だが、各論ではオレだけを優遇せよという話ではないか。分権改革が国民に何を意味するのか、そのような観点に立って議論して欲しい。
(新藤教授) 長年、武蔵野市のアドバイスして来られた西尾理事長は、いまの自治体をどのように見ておられるのか。
(西尾理事長) 武蔵野市は不交付団体で自治体として財政的に恵まれていた。分権改革で国の官僚体制が問題視されているが、地方でも官僚体制は同じである。例えば、中央の各省庁が自治体にアンケートを行なうと、自治体は企画課と担当課では異なる意見を持つことがある。それは企画課が首長を見て意見を持つのに対し、担当課は中央省庁を見て意見を発するからである。首長は少なくとも担当課が中央省庁に発した意見を承知していなければならないが、恐らく知らないのではないか。この状況を国から見れば、地方六団体の意見と自治体事務担当者の意見が異なっており、地方六団体を代表して国と交渉する際の障害となっている。
分権改革は、地方はもとより国会議員も同調し、官僚だけが反対するような状況が生まれないと実現が難しい。地方自治体は足並みを揃えて、本当に地方が要求しているという姿を中央に示す必要がある。また職員は自分が自治体を背負っているという意識ではなく、市民の代表である政治家の意見を聞く必要がある。職員は中央省庁から様々なことを聞かれたら、「それは指示なのか」と確認する必要がある。
(新藤教授) 組合が職員をダメにしている。渡邉社長はどのように考えているのか。
(渡邉社長) 組織は思いを形にするためにあると考え、経営目的に沿って動く組織を作っている。最近、破綻した私立学校を3年間で再生させた。再生には全ての経営資源を子どものために集中した。また破綻した介護施設を95%の入居率にして再生させた。再生には全ての経営資源を入居者の介護に集中させた。再生に際しては、職員に何のために働いているのか、誰のために働いているのかという意識を徹底させた。それでも、自分のことを考えている職員には辞めていただいた。
(新藤教授) 三位一体改革の理念は良いが、負担率の削減に終わった。この補助負担金制度というまわりくどい制度を止められないか。
(西尾理事長) 分権推進委員会の最終報告で残された問題は次の6点である。@どのように税財源を確保するのか、A通達が助言に変わったが、その前提となる法令・政令を緩和する必要がある、B国→県→自治体へ事務事業の権限を移譲することができなかった、C市町村合併が進めば道州制に決着をつける必要がある、D自治体と住民の関係で住民が自治体をコントロールする方法が未定である、E憲法問題で、この国のかたちをどうするのか、である。
現在、分権改革は手詰まりで中休み状態である。竹中総務大臣は分権改革推進法の制定に向かうのか、それとも地方分権推進委員会を再開しようとしているのか不明である。また6つの課題を同時に解決することは困難で、三位一体改革の延長で税財源の移譲を10兆円まで獲得するのか、それとも法令密度を緩和するのかなど、どこから攻めるのかが大変大きな問題である。少なくとも今各都道府県で利害が異なる道州制を議論したら、分権改革は暗礁に乗り上げるのではないか。
(松沢知事) 全国知事会が島根県であった。そこで出た意見は「税源移譲を言うと交付税が減らされるので、言うのを止めよう」というもので闘わない知事が増えている。昔の霞ヶ関OBの知事が官僚と出来レースをやっていた頃に戻りつつある。そこで、地方選挙でマニフェストを配布できるように、また首長の多選禁止を条例で決められるように法を改正する必要がある。そして、国と地方が協議できるような行司付きの土俵を作り、分権推進一括法を制定して分権計画を作り進行管理をする必要がある。さらに国民にとって分かりにくい改革はダメで、分かりやすくするためにはカリスマが必要である。例えば、中曽根改革の土光臨調や消費税導入時の加藤寛委員長、道路公団改革の猪瀬委員などである。
(新藤教授) 新分権推進一括法が何を求めているのか良く分からない。三位一体改革を進めれば良いのではないか。ここまでくれば、内閣とは別の委員会を作る必要はない。政治主導の政権中枢の動きでやらないとダメではないか。
(西尾理事長) 今後の方針は新藤教授の考えに近い。前回と同じやり方は通用せず、また分権改革を官僚に任せたら一歩も進まないことは確かである。今後は政治家が動かないとダメだ。国の政治家と地方の政治家、及び有識者が動くしかない。これまで委員会は地方が結束して出来ることは全てやった。今後は地方が結束できる材料は何もない。このため、今後は全員一致が不可能であり、分裂をも前提として多数がどこにあるのかを見極めながら、地方が多数決で動くという習慣をつける必要がある。
(渡邉社長) 金の多い自治体は分権改革に賛成、金の少ない自治体は反対。何というレベルの低い議論か。そのような見識の低い政治家しかいないのか。分権改革は本来何が必要なのかを考えよ、受益者のことを考えよ、コストパフォーマンスのことを考えよ。道州制には賛成だ。
(松沢知事) 合併で市町村が力を付け、県の仕事が少なくなってきた。県の規模を大きくするとともに国の権限を移譲して、行政をスリム化するために道州制は必要だ。
(西尾理事長) 第28次地方制度調査会をやって感じるのは、道州制は強力な内閣ができないと困難である。仮に強力な内閣がやっても10年はかかるだろう。だから二期改革と混同させないために、次の第三期改革にまわしたい。
平成の合併は新合併特例法を推進しても、自治体の数は1,600程度に終わるのではないか。とすれば、1,600の自治体が存在するという前提条件で、中間の行政体も含めた「この国のあり方」を決めた方が良い。民主党の小沢党首は地方を300の自治体にして都道府県を廃止する提案を行なっているが、これは無理である。

第23回自治体政策研究交流会議・パネルディスカッション
 同日の午後、安部孝夫・川崎市長から「川崎市の自治と実践」と題する基調報告が行なわれ、続いてパネルディスカッションが行なわれました。パネルディスカッションは地方自治の拡充に向けてより具体的な論点について議論されました。
コーディネーターは大森彌氏(東京大学名誉教授、以下は大森教授という)、パネリストは岡田昭彦氏(東日本電信電話(株)取締役)、土屋候保氏(大和市長、以下は土屋市長)、萩原なつ子氏(日本NPOセンター常務理事)、古川康氏(佐賀県知事、以下は古川知事)、堀場勇夫氏(青山学院大学教授)の5名です。議論が分散しましたので、ここでは議会に関する議論のみを紹介します。
(大森教授) 土屋市長は条例を沢山制定されたが、議会はかかわっているのか。
(土屋市長) 市民の関心を引くような理念条例を沢山作った。議会にも議員立法を誘導しているが難しい。恐らく議会が政策条例を作った例は、日本では殆んどないのではないか。住民投票条例や市民参加条例も議会が作ったらと提案したがダメだった。議会は受身であるが、市職員を使って条例を作って欲しい。次の改革は議会のブラッシュアップである。
(大森教授) 議会はこれまで軽視されて来たし、議会もこれに甘んじていた。しかし、議会を変えないと日本は変わらない。古川知事は議会をどのように見ているのか。議会はあっても良いが、なくても困らないか。
(古川知事) 色々な市民が議会を見に行けば良い。議会は年代層と職種が偏っている。

第20回自治体学会・神奈川横浜大会・全体会
 翌25日の午前中は、同会場で全体会が開催されました。題名は「市民の政府を創る」です。コーディネーターは田村明氏(法政大学名誉教授、以下は田村教授という)、パネリストは北川正恭氏(前三重県知事、以下は北川前知事)、中田宏氏(横浜市長、以下は中田市長)、中島興世氏(恵庭市長、以下は中島市長)、藤井絢子氏(滋賀県環境生活協働組合、以下は藤井氏)の4名です。以下、パネリストの主な内容を紹介します。
(田村教授) 横浜の赤レンガ倉庫で自治体学会の創立大会を開催した。20年が経過した現在、「市民の政府」を創っても良いのではないか。背景には次のものがある。
@地方分権一括法や三位一体改革は分かりにくい。これらの改革は市民と関係ないのではないか。自治体は市民の政府であるから、これに着目する必要がある。Aリンカーンは「市民の、市民による、市民のための政府」と言ったが、「市民の」というのは所有格である。しかし、いまだに自治体は市民の所有物になっていない。B都市で便利な生活を送っているが、人間は孤立している。災害などのイザと言うときに助けてくれるのは自治体しかない。国は遠すぎて面倒を見てくれない。C問題は総合的に解決しなければならない。縦割り行政を統合できるのは自治体しかない。D国は横浜市のことを考えられない。横浜市のことは横浜の市民が考えるしかないのだ。
では、市民の政府は何をやるのか。民ができないものをやる。土地利用や安心・安全の問題は公がやる。耐震強度偽装事件の問題は公が解決すべきことである。そのためには「市民の政府」が必要であるという認識、市民が連帯して政府を創るという意識が必要である。20年前には、自治体という言葉はなく、地方公共団体と呼んでいた。いまは地方自治体という言葉に違和感はない。
(北川前知事) 11年前に国会議員から三重県知事になった。この間、小選挙区制度と地方分権の2大改革が行なわれた。政治改革は選挙制度改革が肝と考え、候補者を家柄などの属性で選ぶより、本人の資質で選ぶために小選挙区制度を導入した。今後は情実よりも政策で選出する必要がある。また政治の世界にもマネジメントが必要であり、マニフェスト・サイクルを提唱している。
分権改革において、自治体は管理よりも経営という考え方の方が良いと思う。今までは国が設計図を描いて国が管理していたため、結果を国に報告する必要があった。しかし経営とは、誰かに干渉されることなく自らが家を設計して自らが正しく建てることである。小泉内閣の第一期改革は団体自治の改革であった。第二期改革は住民自治の改革であらねばならない。分権改革の本丸は住民自治の改革である。
(中田市長) 国会議員を3期務めたが当時自治体というものを理解していなかった。分かったと勘違いして自治体を枕言葉に使ったが、市長になって初めて自治の現場が分かった。現場を知れば知るほど、国よりも現場に裁量権を任せて欲しいと思う。
先ほど「市民の政府」の「の」は所有であるとの指摘があった。市民が所有する政府は自己完結度が重要であるが、自治体は自己完結度が低い。財源を国に握られているため、自治体は国に頼らざるを得ない。
 市民が所有する横浜市をどのように創って行くのかと考えると、キーワードは市民参加である。例えば、小学校の校庭に芝生を張って欲しいとの要望があった。行政は芝生を張るが芝生の管理を誰がやるのか、行政が管理するのなら芝生を張らないと回答した。現在、市内の10校で芝生を張っている。またゴミの分別収集を昨年から始めた。埋め立て処分場がなくなり市は追い込まれていたため、ゴミを削減することを決意した。削減する方法は@市民を動かさずに収集したゴミをリサイクル会社に分別させる、A市民が自ら分別する、の2つがあるが、Aしかないと決断した。導入に際しては、山ほどのできない根拠が示され反対された。いわく大都市では困難であると。しかし2年間の準備期間を経て平成17年から分別収集を開始した。準備期間には徹底的に分別の必要性を市民に訴えた。2年間、職員にはシャワーのように市民に伝えよと言った。その結果、ゴミは目標の30%削減を上回る33.9%削減できた。このことによって、ゴミ焼却炉の建設で2つの焼却炉が不要となって約1,100億円が節約でき、その上年間の維持管理費は約30億円を節約できた。
 これらの例から得られる教訓は、財政問題を最初から話しても市民は理解できない。市民参加のなかで理解してもらうしかないということである。
(中島市長) 市議1期目の途中で市長選挙に立候補した。動機は一人会派のため、私の提案がことごとく潰され、しかも市長が無投票当選で信任されるのが嫌だったから。ところが、人口が6万人の恵庭市には3,600人の自衛隊員がいて、自衛隊の支持が得られないと市長に当選できないという状況があった。さらに私には地盤・看板・鞄がないため、私は政策で勝負することを決意した。そのため、@政策が市民の共感を得るようでないとダメと判断し、市民の共感を得るために絵本仕立てのマニフェストを作成した。A政策は高齢者や雇用の問題は相手候補と競合するため、子どもを最大の争点とした。市民に感動していただくためには、身近な問題や地域に根ざした問題を取り上げる必要があり、地域を担っている女性に子どものご飯と読書の問題を争点にした。相手候補との差別化は戦略として当然であり、そのためマニフェストが体系的かつ網羅的である必要はない。市長になってからは、教育費を4倍にして各学校に専任教師を置いている。彼らには小学生に読書習慣を付けるように投資効果を出せと言っている。また赤チャンから読書習慣を付けるため、高齢者による読み聞かせ運動をやっている。
(藤井氏) 省略します。
(北川前知事) 中島市長のマニフェスト発言について、マニフェストは網羅的である必要はないが、体系的には必要なので発言を訂正して欲しい。ただし、選挙はエモーショナルなものなので市民の共感を得ることは大切だ。マニフェストは選挙を従来の「お願い」から「約束」に変えたが、総合計画と必ずバッティングする。このため、総合計画のあり方を考え直す必要がある。
(中田市長) 市民への情報伝達に関して、サイズの異なる自治体がある。人口が5〜6万人の自治体なら、毎日市民と対話ができる。しかし横浜市のように人口が300万人、職員が3万人いると情報が正確に伝わらない。メディアは行政の下請けにはならないというスタンスを持っており、行政の不祥事は報道するが肝心の情報は伝えない。情報を伝えるためには市民参加の仕組みがより必要だ。

第20回自治体学会・神奈川横浜大会・第一分科会
 同時の午後、会場を開港記念会館に移して第一分科会が開催されました。題名は「市民の政府の構想〜市民と自治体の新展開」です。コーディネーターは廣瀬克哉氏(法政大学教授、以下は廣瀬教授という)、パネリストは福嶋浩彦氏(我孫子市長、以下は福嶋市長)、須田晴海氏(市民運動全国センター代表世話人、以下は須田世話人)、岸本幸子氏(NPOパブリックリソースセンター事務局長、以下は岸本事務局長)、市村次夫氏((株)小布施堂・(株)桝一市村酒造場代表取締役、以下は市村社長)、木原勝彬氏(ローカル・ガバナンス研究所所長、以下、木原所長)の5名です。ここではパネラーの主な内容を紹介します。
(廣瀬教授) 「市民の政府」には次のような問題がある。日本の自治体は市民から徴収する税額の割には行政サービスが多いという認識を持っているが、我孫子市は予算が一発で議会を通過したことがないそうで、市民と政府を繋ぐ議会に問題がありそうだ。原因は議会本来の役割と現実のギャップの大きいことが考えられる。これまで執行機関の団体自治改革は進んだが、議会等の住民自治改革は進展していない。これらの問題を中心に論を立てて欲しい。
(木原所長) 私の夢は奈良街の保存であるが、今の間接民主主義で夢が適うのだろうか。市民が直接にパートナーシップを契約しないと市民の政府はできないのではないか。市民レベルでの分権運動が起こっていないので、住民自治強化運動が必要だと思う。
(市村社長) 小布施は約230年間役人がいなかった町である。小布施では行事を「稼ぎ(対価を伴う労働)」でやろうとすると、誰も話を聞かない。しかし「お勤め(ボランティア)」でやると人は動く。町長や議員などの行政がやることを市民が協力するのは発展途上国のやり方だ。行政は、手続きは正しいが結果の評価をしない。
20年前に景観形成を行なった。質の高いものを創るためには、行政が入るとダメになる。行政は議会からのクレームに弱く、クレームは多数決に弱い。したがって当事者である地権者の2/3の賛成があれば、議会はクレームを付けられなくなる。このことで行政は考え方を変えた。以後、行政が主導的になることも、事務局を担うことも、補助金を出すこともなくなった。行政は職員が「稼ぎ」でなく、「お勤め」として参加している。
(岸本事務局長) パブリックリソースセンターとは、公的なものを民が担うところである。現在はお金に拘っており、民間の寄付をいかに増やすかに腐心している。
(福嶋市長) 行政は市民のコントロール下に置かなければならない。そのためには議会が正常に機能しなければならないが、市民も日常的にあらゆる場で関与することが必要だ。また代表者の決定が市民の感情と異なると感じた時に解決する仕組み、例えば常設型の住民投票条例も必要だ。いま提案型公共事業をやっている。1,200の事務事業を公表して民営化の提案を公募するというものだが、行政の仕事を民間が奪うとのコンセプトで実施している。現在27の提案が寄せられている。従来のコスト削減という考えでは行き詰まるため、新たな仕組みを模索しているところだ。
(須田世話人) 自治体学会には20年振りに参加した。自治体が「市民の政府」だとしたら、その設立権限は誰が持っているのか。アメリカのカリフォルニアでは住民が自治体を作ったり解散したりしている。日本ではそれが出来ない。国が勝手にやっており市民に権限がない。自治体の行政に対する評価も結果に対する責任もない。
最初にあるのは国なのか、それとも自治体なのか。国から与えられたような団体自治ではダメで、自ら統治する必要がある。行政という言葉は最近作られたもので、控除説により司法と立法を除いたものと定義されているが、この行政というものをなくしたい。ローカルガバメントが良い。ガバメントは決定機関であり議会であって、首長はいらない。議会では討論が大切だが、議会が機能しないとガバメントにならない。極論であるが、賢明な市長が引っ張って行くより、愚かな市民が話し合って行くのが良いと思う。

(注記) 24日の夜に開催された情報交換会で、中道議員は大森教授と西尾理事長に次のような質問を行った。
(中道議員) 現在、多治見市議会の事務局には、法制や政策の担当職員がいない。二元代表制の一翼として、独自の政策を形成するためには、どのようにすれば良いのか。
(大森教授) 市長部局の職員を使えば良い。
(中道議員) 第28次地方制度調査会は、どうして枝葉末節的な議会改革案しか答申しなかったのか。監視機能や政策形成機能を強化する提案はできなかったのか。
(西尾理事長) 地方六団体の議会代表者からは、あのような提案しか出て来なかった。
(中道議員) 官僚が自ら変われないのと同じで、議会も制度的に自ら変われない。どうすれば良いのか。
(西尾理事長) そうですか。基本的には時代の波を待つより仕方ないが、何か提案があれば雑誌に発表して、自ら波を作って行く方がよい。

 

 

<第1回全国市議会議長会研究フォーラム・開催>(‘06年8月)

8月3日、全国市議会議長会が主催する表記会議は、東京の日比谷公会堂で開催されました。全国の市議会議長ら約1,000名の議員が参加し、中道議員も私費参加しました。最初に、北川正恭・早稲田大学教授が「分権時代と二元代表制」と題して基調講演を行い、続いて「地方議会と市民参加」と題するパネルディスカッションが行なわれました。コーディネーターは磯崎初仁・中央大学教授、パネリストは飯尾潤・政策研究大学教授、瀬古一穂・金沢大学教授、中西晴文・日本経済新聞社編集局員、中森慎二・四日市市議会議長の4名です。ここでは、それらの主な内容を報告します。

北川正恭氏の基調講演:分権時代と二元代表性
 3年前「マニフェスト」という言葉で、流行語大賞を頂いた。この大賞でマニフェストは市民権を得、その後の選挙でマニフェストが作られるようになった。今度は「北京の蝶々」という言葉で地方分権を進めたい。「北京の蝶々」とは、北京で蝶々がはばたくとニューヨークでハリケーンが起こるということを略したもので、ごくわずかな気流の乱れが別のところで巨大な嵐を巻き起こすという複雑系の理論を例えたものである。
解剖学者の養老猛氏は「バカの壁」という本を出版した。バカは常識という意味で、人は常識の壁をなかなか超えられないそうだ。いま日本は中央集権という常識の壁を越えられない。明治に福沢諭吉が地方分権を唱えてから幾度となく分権運動は起こったが、分権の制度化と財源移譲は一度も実現していない。
中央集権は地方にとって他人の財布で仕事をすることであり、効率が良いはずがない。日本が未成熟の間、中央集権は経営資源を中央に集中し有効に機能した。地方は政策合戦をやる必要がないため中央への陳情が主な仕事となり、利権を確保するために首長と議会の馴れ合いが行なわれ、自治体は地方政府ではなく、地方公共団体と呼ばれた。
しかし現在は、画一社会から多様な社会に変化し財政も厳しくなって、立居地を変える必要がある。地方分権とは自治体が自分の財布で仕事をしなければならない。そうすると管理より経営が重要となる。管理は組織にとって有用だが、中央や上から言われたことを実行するだけであり、これに対し経営は、自ら作った設計図に従って正しく構築しなければならず自ら考える必要が生れる。今までは国に命令を仰ぎすぎてきた。
‘93年に地方分権の国会決議がされ、’99年に地方分権一括法が可決し‘00年から施行された。これはEUで採択された「近接及び補完の原理」に基づく地方分権の流れに沿ったもので、日本が「国はルールメーカーに徹し、地方は地方に任せよ」という方向に足を踏み出したことを意味する。もう後戻りは出来ず、好むと好まざるにかかわらず前に進まざるを得ない。
分権が実現すると、首長が大変大きな権力を持ち独走する恐れがある。政治の本質は多様性だから、首長のリーダシップに対し議会の多様な意見による監視が必要となる。このため、議会は従来の議決機能だけではなく、監視機能や条例制定機能が益々重要となり、議会と首長の関係が一変するはずだ。従来は法律に縛られて独自の政策条例は作れなかった。また機関委任事務は、国の補助金付だから議会で議論する必要がなかった。それらが廃止され、自分たちのまちは自分たちで考える必要が生じた。地方制度調査会の答申は団体自治の改革であったが、今度は第2期改革の住民自治の番で、もはや分権の動きは止められない。良い分権か否かは私たち住民が決定することになる。
従来は首長選挙でマニフェストが作成できなかった。理由は国の地方財政計画が決まらないと、次年度の予算編成ができないからである。このため市長は、自分のまちの計画が書けない状態を60年間続けてきた。三位一体の改革は国に金がないことを証明したが、税源委譲が実現し地方交付税の透明性が高まるとマニフェストが有効となろう。
選挙を「お願い(ウイッシュリスト)」から「約束(マニフェスト)」に変える必要がある。従来は住民の要望よりも税収が大きかったから、要望に「あれもこれも」応えることができた。しかし、国はそれを20年間継続して700兆円の借金をしてしまった。この借金は我々の世代が作ったものだ。我々は子供たちのために絶対に借金を後世に残さないという決意が必要だ。そのため今後は「あれかこれか」の選択の時代となる。
議会は住民の立場で地域を経営する必要がある。分権時代のまちづくりは、価値あるものを探すことであり、価値あるものに特化すべきだ。例えば、黒川温泉の新明館は予約で一杯だ。後藤社長は別府や湯布院に対抗するために、露天風呂にこだわり徹底的に良いものを作った。そして我々の村の「売り」は、雑木林との理念の下に、先代が作った立派な日本庭園を潰して雑木林に変えた。周りから猛烈な反対があったが、予約が一杯であることが知れわたると、同様な旅館が増えて相乗効果が出るようになった。旅館同士が競争を始めると部屋がきれいになり、料理が美味しくなった。また温泉手形を発行し、それぞれの旅館が情報公開を行なった結果として、今日の隆盛がある。
後藤社長に「成功の原因は何か」と質問したら「市役所に頼まなかったことかな」との返事であった。市役所は商売に不向きである。市役所の「公平」は、商売にとって邪魔である。商売は人のやらないことに特化しないとうまく行かない。
 まちづくりも同様で、選挙で「あれかこれか」を選択する時代である。自分の税金で自分のまちづくりを行なうことを知れば、住民は慎重に選択するはずだ。議会はまちのローカルマニフェストを作り、選挙で信を問うべきだ。役人が作成する総合計画ではなく、議員は住民と共にローカルマニフェストを共有して欲しい。ここに出席している議員一人一人が変われば、国を本当に変えることができる。皆さんが北京の一匹一匹の蝶々になって飛んで欲しい。改革とは自分が変わることである。

パネルディスカッション:地方議会と市民参加

  1. 地方議会による政策形成に関する意見
    (中森議長) 四日市市は人口が31万人、面積が約200平方kmの中核市で、この度の合併で在任特例を適用し、現在の議員定数は52名である。議会改革は平成3年から始めた。最初は常任委員会を公開し、6年後にはテレビ中継を行った。その後、行政と議会の責任は同じであるとの認識の下に、議会としての政策形成能力を高めるために条例を作ろうとしたが、議会は議員同士の議論が苦手であった。しかし、議論に職員や市民及び四日市大学の教授などに参加して頂き、平成12年の情報公開条例の改正を皮切りに、7つの条例を制改定した。
    (中西記者) 日経新聞は経済紙だが地域の動きも休日の2面で紹介している。しかし記事に対する皆さんの印象は良くないはず。理由は議員に対する記事内容が悪いことばかりだからだ。夕張市の議会は何をやっているのだ。一時借入金ぐらいはわかるだろう。チェック機能が全く働いていない。ましてや政策形成にまで手がまわるはずがない。
    (瀬古教授) 市民の呟きを実現し、思いを仕組みにするという理念の下にNPO法等を作ってきた。政治家はマニフェストで市民参加や協働を公約にしているが実現していない。公開の場で住民を巻き込んだ討議や、住民と一緒に政策を作るような協働型議会、アクティブ議会を望みたい。今の議員が政策を作ることは難しいと思う。ふさわしい議員とは何かを議論し、議員はパラダイムシフトをして欲しい。
    (飯尾教授) これまで国政を中心に勉強してきたが、地方が変わらないとダメだということがわかった。そこで不思議に思うことがある。まず、地方の政治では首長の話と安上がりの行政の話しか出てこない。政策選択肢の話がどうして出てこないのか。次に、二元代表性がうまく機能している国は少ない。唯一の例外はアメリカである。アメリカは国を始めた時から議会中心でやってきたから議会が活性化した。大統領はせいぜい拒否権ぐらいしかない。日本は議会が機能していないため、議会が無駄の典型例として挙げられ、議員定数を削減すると賞賛される。本当に議員は少ない方が良いのだろうか。
    これからの日本には議会が大切である。首長に反対意見を述べるのは議員だけである。そして、議会の役割は市民の様々な意見を考慮しつつ討論することだ。議会で選挙活動をするからダメなのである。議会で討論するために必要なことは何か、教えて欲しい。
  2. 地方議会と市民参加・市民協働に関する意見
    (瀬古教授) 市民参加の段階には、あやつり、なぐさめ、お知らせ、意見聴衆、懐柔、パートナーシップ、委託、住民によるコントロールの8段階がある。最初の2つは市民参加とは言えない。次の3つは印としての市民参加である。最後の3つが市民の力が活かされる市民参加である。次に、ボランティアとNPOは異なる。ボランティアは個人で、NPOは組織でありマネジメントが必要となる。市民参加の形態には個人と組織があるが、協働とは組織と組織の関係である。これまでの分権は、国から県へ市へ住民への垂直分権だが、協働の概念は行政セクターから市民セクターへの水平分権である。
    (中森議長) 平成17年1月の臨時議会で市民自治基本条例を制定した。条例は市民参加の根拠として作った。主な内容は情報の共有、知る権利、市民参加の義務、市民投票などである。また、正副議長選挙は平成13年から立候補制にし、所信表明を公開している。さらに、市議会のモニター制度を作り43名の市民から意見を聞いている。
    (飯尾教授) 従来は中央集権のため地域で何かを決定する必要がなかった。税収が潤沢だから議会はおねだりで済んだ。しかし今後は、何を削減するのかを誰が決めるのか。これは議員が討論を行ない議会が決めるしかない。そして、「あそこまで議論をしているから仕方がない」と住民に理解してもらうのが議会の役割である。
    (中西記者) 10年ほど前に夜間議会や日曜議会がブームとなったが、議会が面白くないから、元の木阿弥となってしまった。議会は脚本通りの学芸会だから、議会に足を運べと言っても誰も来ない。議員がいう住民・市民とはどのような人か。自分を支持してくれる人が市民ではないか。議員は千から2千票で当選できる。その票は地域の職業構成と全く異なる職業で構成され、サラリーマンがいないのではないか。皮膚感覚で議員が好きになれないのが問題である。
  3. 地方議会の制度・運営の改革に関する意見
    (中西記者) 議員削減や政務調査費削減はニュースになる。議会が機能するためには議員数が必要だ。しかし議員報酬は議会の回数に比べて多く、日当に換算すればかなり高い方だ。議会閉会中に議員活動を本当にやっているのか。兼業する議員は多いが議会活動への集中度はどれくらいか。報酬を減じて議員数を増加せよ。事務局を強化するには広域組合でやれば良い。議会は予算を修正するぐらいの仕事をして欲しい。
    (瀬古教授) 第28次地方制度調査会の委員であった。そこでの議論は次の通りである。議会に自らの召集権がないのはおかしい、首長の専決処分は変であり判断は正副議長に任せよ、教育長に付属機関が認められ議会に認められないのはおかしい、議員の身分は公選職などの新たな位置付けを行なうべきだ、などである。しかし、アメリカは人口が5万人のまちでも議会は無報酬で夜に行なっている。日本は5千人のまちでも職業政治家がいる。
    (飯尾教授) 議会活性化の方策として、次の3つを辞めたらどうか。まず、二元代表制は言いたいことが言える制度なので与党意識を捨て監視機能を働かせよ。次に、議員は土日も働いているようだが動きが良く見えない、これはアンダーグラウンドで執行部と直接交渉をしているからではないか、交渉をやめて議会で発言せよ。最後に、自治法に規定されていないことはできるはずだ、標準則がおかしいと思えばおかしいと言え、議長が議会を召集して法律違反になるのか、自治法に規定されていないことはやって欲しい。
    今までは団体自治をやって来た。これからは住民自治が問われる。良いまちを作るか否かは良い議会を持っているか否かで決まる。

 

 

<第68回全国都市問題会議・開催>(‘06年7月)

 7月20日、21日、全国市長会が主催する表記会議が札幌市のコンベンションセンターで開催されました。中道議員も市民クラブの一員として参加しました。
会議は20日の午前9時半から21日の正午まで開催されました。開会式に次いで、最初に川勝平太氏(国際日本文化研究センター教授)が「まちの力は景観から」と題する基調講演を行い、続いて上田文雄氏(札幌市長)が「2人の偉大なアーティストの遺産−モエレ沼公園とPMF」と題する主報告を行ないました。午後からは安藤忠雄氏(建築家)が「市民参加のまちづくり」と題する特別講演を、篠田昭氏(新潟市長)が「食と花で開かれる政令市・新潟の扉」、小菅正夫氏(旭川市旭山動物園園長)が「旭山動物園の改革」と題する一般報告を、それぞれ行ないました。翌21日には、「都市の連携と交流−まちの力の活用」と題するパネルディスカッションが行なわれました。コーディネーターは平野次郎氏(学習院女子大学教授)で、パネリストは井上肇氏(常盤大学教授)、安井潤一郎氏(早稲田商店会会長)、小林英嗣氏(北海道大学教授)、斉藤未来氏((株)ナムコ)、中山弘子氏(新宿区長)、森雅志氏(富山市長)の6名でした。ここでは、印象の残った安藤忠雄氏と小菅正夫氏の講演の主な内容を報告します。

安藤忠雄氏の特別講演:市民参加のまちづくり
 私は東大生と一緒に勉強したかったので、東大の先生になったが東大生は変だ。私の事務所にも東大卒が3人いるが、庭の鉢植えに毎日決められた時間に水遣りを指示したら、雨がじゃんじゃん降っているにもかかわらず水遣りをやっている。やはり、人間は犬や猫などと一緒に育った人間でないとダメだ。子供は自分で目標を見つけると元気になる。皆さんは全国から集まって来ているが、地方で元気な子供を育てて欲しい。
 まちづくりは、そこに住まう人々が積極的に参加してこそ意義がある。そのまちで生活し、そのまちを愛する住民の思いがなければうまくいかない。先日完成した表参道ヒルズで、その事を痛切に感じた。前身の同潤会青山アパートは、関東大震災の直後に安全で安心に暮らせる集合住宅の試みとして建設されたもので、このアパートが作り出す街並みの風景は、貴重な「都市の記憶」であり、人々の心に深く刻み込まれている。
このため再建に際して、この「心の風景」をどのような形で残して行くのかが主題となった。我々は「集まって住むこと」の意味を再考し、貴重な都市遺産を残すことを重要視し、建物の高さをケヤキの並木と同じ高さになるよう可能な限り低く抑えた。そして、周囲の既存環境をいかに味方に付け建物に取り込むのかに腐心した。さらに、設計の段階では「使い手の意見をしっかりと聞く」ことが大切と考え、数え切れないほどの話し合いを経た結果、お互いに妥協のないものが実現できたと考えている。また、道行く人からも「心の森が帰ってきた」と思ってもらえるような建築になればと考えている。
 私は真に有益なまちづくりを実現するためには、社会的な領域を超えた対話が欠かせないと考えている。大阪市のサントリーミュージアム天保山では、美術館敷地と海の間の護岸を階段の広場に変え、海上までも含めた親水空間を創った。このプロジェクトは物理的な空間の境界を越えただけでなく、施主の民間と護岸を管理する大阪市、及び海を所管する国土交通省という社会的な境界を越えることが最も重要な課題となった。
一昨年の10月からは「桜の会・平成の通り抜け」という運動を進めている。これは大阪の春の象徴である造幣局の「桜の通り抜け」に併せて、市民の手で新しい桜の通り抜けを創ろうとするものだ。完成すると大川沿いに約15kmの美しく壮大な桜の風景が誕生する。元気がない大阪を活性化する契機にしたいと思い呼掛け人の一人となった。美しいまちや魅力のあるまちは投資の対象になる。客はそのまちにしかないものを求めて来る。そこに行けば何かがあるという期待感が重要だ。世は所有する時代から使用する時代に変わった。散歩は何の得にもならないただの時間つぶしだが、美しい自然は心に残り、人は癒される。
計画は大阪人なら誰の心にもある桜並木の風景を手掛かりに、市民自身の手で創るまちづくりだ。お金は市民が作らないとダメだ。1人1万円の募金を始め、現在約3万9千人の人が賛同した。目標は5万人、5億円だ。企業も利益の1%をまちづくりに提供して欲しい。計画が市民に受け入れられた理由として考えられることは、1万円で自分が生きた証を買うことができることと、誰の心にもある街の原風景を味方に付けたからだ。また、計画が人工的な構造物ではなく命ある自然であったことが、より一層人々の心に訴える要因となったと思う。
平均寿命が長くなって、人は50〜90才の約40年の生き甲斐を求めている。
人は仕事に限らず、無我夢中になれる面白いものがあれば良い。青春は心の持ち方であり、夢を失ったとき老人となる。人は自分が持つ技術などを活かしたいし、自らの好奇心を受け止めてくれるまちであって欲しい。また、このまちに住んで良かったとも思いたいものだ。
 江戸時代の美意識に対する民度の高さに見られるように、日本人は古くから恵まれた自然環境を活かし、自然を楽しむ感性に長けた民族であり、文化も自然を頼りに育まれたものだ。その感性を呼び覚まし、市民の力で理想の風景や現代の庭園づくりを行ないたい。今後も新しい形のまちづくりを発信して行きたい。

小菅正夫氏の一般報告:旭山動物園の改革
 旭山動物園は昭和42年に開園して以来、小学生と60歳以上の無料化や観覧車などの大型遊具の導入で入園者数を増加させ、昭和58年の入場者数は過去最高の59万人を記録した。その後バブル経済の崩壊に伴い入場者数は減少し、第2次大型遊具を導入しても減少は止められず、平成6年にゴリラがエキノコックス症で死亡したことを契機に、入園者数は平成8年に過去最低の26万人となった。
私は平成7年に若干46歳で園長となり、入場者減少の原因解明と対策を検討し始めた。従来、動物園は珍しい動物を入れたり、大型遊具を入れるなどの対策で入場者数を増やしてきたが、すぐに飽きられた。また、市営の動物園では毎年予算を増額することができない。そこで、入園者になぜ動物園は面白くないのかとの聞き込みを行なった。その結果、動物園はいつも同じで、動物が動かず、人と動物との距離が遠いということがわかった。
一般に、動物の本能は食べることと子孫を残すことだが、この2つの本能を利用して、動物園に変化をもたらし、動物を動かす方法を考えることにした。
例えば、オランウータンは神経質で用心深くまったく動かない動物だが、綱渡りをすると餌にありつける事がわかると、危険を顧みず子供を抱いて綱渡りをするようになった。また、猿の園舎では、餌箱を1つの穴があるサイコロ状のものに変え、穴からは餌が1個しか出ない大きさにすると、観客には猿が1日中サイコロを転がして遊んでいるように見える。さらに、キリンは首が長いのが特徴だが、遠くから眺めても面白くも可笑しくもない。そこで、キリンの園舎地面を低くし、人間の顔とキリンの顔が同じ高さになるよう改修して、キリンが人の顔前で餌を食べる風景が見られるように工夫した。そうすると、人はキリンの餌の食べ方と舌の長さが良くわかるようになった。
このような工夫を重ねた結果、平成17年には入場者数が200万人を超え、日本では東京の上野動物園に次ぐ入場者数となった。

 

 

<浅野史郎−脱政党の時代に−講演>(‘06年7月)

 7月8日、名古屋市女性会館で「政治を市民の手に!」と題するシンポジュームが開催されました。最初に、浅野史郎氏が「脱政党の時代に」と題する基調講演を行ない、続いて「私たちに何ができるか」と題するパネルディスカッションが行なわれました。コーディネーターは寺町みどり氏(む・しネット事務局)、パネリストは浅野史郎氏(慶応大学教授)、小川まみ氏(桑名市議会議員)、小池みつ子氏(長久手町議会議員)、今大地はるみ氏(敦賀市議会議員)、寺町ともまさ氏(山県市議会議員)、高瀬かおる氏(む・しネット・プロジェクトチーフ)の6名です。
ここでは、浅野史郎氏の基調講演の主な内容を報告します。
 宮城県知事は3期12年で辞めた。長期政権は5年もたてば政策担当者の職員が変わるため、知事が最も詳しくなって政策が陳腐化する。また、知事は人事権を握っているため、職員は知事の悪口が言えない。徐々に裸の王様になって段々辞めるのが難しくなる。当初から3期で辞めると決めていた。また3期以上かけてやるべきことがなかった。
 最初の知事選挙への立候補は3日間で決めた。理由は前知事が汚職で突然辞任したためである。したがって、公約は何もなかった。ただ福祉をやりたかったので「福祉日本一」という公約を掲げたが実現せず、代わりに「情報公開日本一」となった。
知事としての心構えは「逃げない、隠さない、ごまかさない」という信念を貫いたことだ。仕事で結果を出すためには、システムを作れば良いと考えた。出来事は向うからやって来る。その状況に真摯に対処すると、次の状況が生まれる。その度に素直に対応し、わからない事はわからないといい、合理的に考え、出来ることを実行する。知事の仕事はそれの繰り返しだ。例えば、NPOが向うからやって来た。これはキチンとやろうと思った。そこで出来るだけ多くのNPOを作ろうと考えた。そのため、県職員が申請書を代筆したこともある。その結果、宮城県はNPOが盛んになった。
脱政党という題名だが、国会議員は政党に入らなければ仕事が出来ない。自治体の首長選挙を行なうと、政党が当選しそうな候補者に推薦させて欲しいとやって来る。これは与党になりたいためで、議員は自分の選挙区の利害に関心があり、首長と太いパイプ役になりたいためである。
私の場合は後援会を持たず、団体推薦も求めない選挙を行なった。御輿選挙はみっともない。御輿を担ぐ人は普通の人ではないからだ。普通の人が入れないインナーサークルの選挙は手伝う人が限られてしまう。選挙を請負業者に丸投げすることになる。
私は選挙を自分で仕切りたかった。市民が前面に出るような選挙がしたい。選挙を通じて良い知事になりたい。市民が踊り狂い、自分を鼓舞するような選挙がしたい。例えば、選挙告示日に事故があって街宣車が第一声に間に合わないことがあった。そこで、ハンドマイクで街頭演説を行なった。現職知事が1人でハンドマイクを持って選挙をやっている光景が駅前に現れた。そうすると、主婦の間から史郎チャン可哀想という声が上がって、主婦が選挙事務所にやって来た。私たちがやらないと史郎が負けるという危機感が生まれ、市民が前面に出ざるを得なくなった。また、100円カンパをやった。100円を青い名刺大の袋に入れてメッセージを書いて頂くものだ。青い袋は為書の代わりに選挙事務所の壁に貼り付けると壁が青一色になる。カンパは1,600万円集まった。16万人が100円を寄付してくれたことになる。電話作戦にも言えることだが、このような行動を行なった市民は必ず投票に行く。選挙では金をかけない、選挙違反はしないというポリシーを貫いた。
市民派市長や市民派議員の定義は難しい。それでは非市民派議員とは何かと問えば、それは政党に所属する議員のことを指すのだろうか。市民派か非市民派かというのは、首長や議員の姿勢の問題で、市民を見ようとして市民を巻き込んで行こうとしているのか否かであり、それは選挙の戦い方に帰結する。選挙をどのように戦うのか、また首長が左右の分岐点で究極の選択をする場合、目を閉じるとどのような群像が出てくるのだろうか。誰のために誰に依拠して行政を行なっていくのだろうか。

 

<自治体基本条例は、市政基本条例に変更>(‘06年7月)

 3月議会で廃案となった「自治体基本条例」は、6月21日に開催された第12回政策研究会で執行部から論点整理が示され、7月4日に開催された第13回政策研究会ではパブリック・コメント資料として「市政基本条例(案)」が示されました。主な変更点は以下の通りです。なお、執行部が変更した理由はまだ不明なので、中道議員が想定する理由を添付しました。

  1. 条例の名称が「自治体基本条例」から「市政基本条例」に変わった。理由は「自治体」の定義が不明確であるため、条例の内容に整合せず混乱が生じるから。
  2. 条例の構成は総合計画を第3編第3章とし、市政の主体を第2編として入れ替えた。理由は構成が不自然であり、基本計画中心の行政は市政の硬直化を招くから。
  3. 選挙の項目では、市長と議員の政策を公表することを削除した。理由は選挙公報の実施が現実的に難しいことと、議員の公約を制度的に保障することが難しいから。
  4. 市長の服務の宣誓が削除された。理由は選挙公約と議会での所信表明で十分であるとう意見があったから。
  5. 市民参加の時期では、「予算を編成する」ときが削除され、事業を選択するときとなった。理由は予算編成が執行部の専権事項であり、市民が査定すべきでないから。
  6. 総合計画では、議会の議決事項を基本構想のみとし基本計画を削除した。理由は行政の硬直化を招くことと、基本計画は基本構想を議決する際の参考資料で良いとする観点から。
  7. 法務原則では、「日本国憲法と法令を市の責任において解釈し」の条文から「日本国憲法」を削除した。理由は「いいすぎであろう」という意見があったから。
  8. 市民投票では、「市民や議会と市長は、市民投票の実施を決定することができます」を削除した。理由は常設型市民投票を否定し、市長の独断専行になる危惧を回避するため。
  9. 武力紛争への対処は全て削除した。本条例になじまないという意見があったから。
  10. 条例の改正では、議決用件を削除した。既存の議決用件と同じで、改めて記述する必要がないから。

 

 

<コミュニティ政策学会・第5回大会・開催>(‘06年7月)

 7月1,2日、奈良市帝塚山大学で表記大会が行なわれ、中道議員は私費参加した。
大会は初日に「分権時代における市民自治型自治体」と題して、新川達郎・同志社大学研究科長が基調講演を行い、続いて「分権時代のコミュニティ政策・住民自治政策を問う〜地方分権一括法から6年を振り返る〜」と題するシンポジュームが行なわれました。コーディネーターは中川幾郎氏(帝塚山大学教授)、パネリストは絹川正明氏(神戸市竹の台自治会長)、中田実氏(コミュニティ政策学会会長)、藤原昭氏(奈良市長)、山口裕子(浜松NPOネットワークセンター代表)の4名でした。翌日は4つの分科会が開催されましたが、中道議員は「わが国コミュニティ政策の総括」と題する第1分科会に出席しました。第1分科会のコーディネーターは山崎丈夫氏(愛知学泉大学教授)です。まず、山崎丈夫氏が「プロジェクト研究の問題意識と論点」を、次いで、谷口功氏(愛知大学非常勤講師)と山崎仁朗氏(岐阜大学教授)及び牧田実氏(福島大学助教授)は、各自が担当する「自治省モデルコミュニティ地区の検証」を、最後に、中田実氏(愛知江南短期大学学長)が「コミュニティ政策の評価と展望」を、それぞれ報告しました。ここでは、新川達郎氏の基調講演と、第1分科会の主な内容を報告します。
なお、中道議員が投稿した「住民自治を目指して−多治見市ホワイトタウン自治会の試み−」は、「コミュニティ政策4(コミュニティ政策学会編)」に掲載されて7月7日に発行されました。学会員には当日会場で無料配布されました。

新川達郎氏の基調講演:分権時代における市民自治型自治体
 地方分権改革が進められて地方自治は大きく変わり、地域社会の新たな自治の姿が模索されているが、本質的な市民自治の議論は不十分である。地方分権推進委員会の議論では、住民参加が裁量的任意的な推進に止まり、透明性公正性の確保は行政手続と情報公開が主であり、住民投票は今後の検討となった。その後の地方制度調査会の答申や地方自治法改正でも、地域自治区制度を除けば、住民の自治強化の改革は皆無である。
これまでの分権改革を見ると、住民の権利の実体的保障、つまり住民自治の強化という視点が欠如している。
 分権と地域を取り巻く社会経済構造の現状は、地方自治体に地方財政の窮乏化や高齢化社会そして人口減少への対応を迫っている。現在進められている行財政改革の「選択と集中」にも限界があり、従来型の行政運営では今の環境変化に対応することは不可能だ。今後は政府の統治(ガバメント)から市民や民間を含む協働の統治(ガバナンス)への移行が不可欠だ。政府の役割を再定義して公共サービス提供の多くを市民や民間の活動に委ねることが必要だ。今までの住民参加は住民参政に止まっており、裁量的な市民参加の拡大で行政範囲を広げたにすぎない。新しいガバナンスは、構造的な変化を受けた地域社会が、必然的に選択せざるを得ない自己統治の姿である。
 新しい市民自治型自治体を目指すには、2つの市民自治の実現が求められている。
第1は自治体の統治であり、行政と市民の役割分担を再定義しつつ住民参政の実体化を目指す。その課題は、@権限委譲と資源の再配分、A住民と行政との協働による公共サービス提供と地域の形成、B協働活動を住民の監視と統制の下に置くガバナンス体制の確立である。
第2は地域社会の統治であり、個々の住民や様々な組織と団体によって地域社会の自己統治と再編を目指す。この課題はコミュニティの住民自治を中心として、コミュニティの再組織化が必要である。既存の地域協議会や地域自治区組織、及び現在のNPO法人では、協働活動を支える制度として極めて不十分である。
いま住民自治の活性化と新たな制度の構想が求められている。

第1分科会:わが国のコミュニティ政策の総括
 コミュニティ政策は1,969年に国民生活審議会が「コミュニティ−生活の場における人間性の回復」を提唱したことに始まる。背景には、全国の自治体で革新首長が誕生したため、保守政権が危機感を募らせ、その対抗策としてコミュニティ政策を策定したという経緯がある。自治省は政策の目的を住民の連帯と融和であるとして、モデルコミュニティ地区指定、コミュニティ推進地区指定、コミュニティ活動活性化地区指定、コミュニティ組織機能強化支援事業を実施してきた。この間、自治省はコミュニティセンター(以下、コミセンと略す)の設立を目指したが、文部省の公民館活動の政策との差異が明確でなく地方で混乱が生じた。例えば、大津市晴嵐地区ではコミセンが箱物誘致等の地域開発に利用されたし、柏崎市中鯖石地区では公民館がコミュニティの拠点として活用され、武蔵野市では人口が13万人に対し面積が10kuと狭く地域自治組織がないという条件下で、西久保地区はコミセンがボランティア市民の自由意志による親睦とサークル的交流の活動拠点や、福祉、防災・防犯、ごみ等の地域課題への対応拠点として活用されている。このように、コミセンの役割は地域よって千差万別である。
これまでのコミュニティ政策は、@地域が再編される中で抽象的だが目標となる社会像を示し、A地域共同の問題解決の取り組み体制を作ることが課題であることを提起した。しかしB個人と組織の二項対立論を克服できず、C様々な組織の役割と相互の連携の方向性を示すこともできなかった。また、D地域共同の問題を解決する住民組織からの合意が得られないため、E議論は全員一致型の課題に傾き、各地区や各階層に固有する問題の対処が不十分となった。さらにF都市内分権という視点をも欠いていた。
このような状況の中で、いまの総務省はコミュニティ政策をどのようにすれば良いのかを十分に掴み切っておらず、実質的に休眠状態にある。このため今後の研究課題としては、各地で事例研究を重ね、どのような組織が、何をどのように行い、どのような問題が残されたのかを整理して、都市内分権を視野に入れたコミュニティの組織と機能を再構築する必要がある。そして、全住民に関係する問題を有志型組織で対応する制度的矛盾を解決し、コミュニティ組織の意思決定に関する公共性を担保し、地域問題解決に関する住民負担の不公平を解消する必要がある。具体的には、総務省が提案した地域自治区は大変使い難いので、住民自治の基礎的単位(コミュニティ)をどのように設定するのか、またその担い手は誰なのか、機能を総合型コミュニティとすればテーマ型アソシエーションを誰が担うのか、合意形成と意思決定をどのようにするのか、コミュニティ(共同体)と議会(機能体)との関係をどのようにするのか、などを解決していく必要がある。

 

 

<平成18年6月議会の報告>(‘06年6月)

 6月定例会は6月2日〜同23日に開催されました。主な内容は次の通りです。

  1. 副議長選挙 各務重美副議長が市税を滞納していることが露見したため、5月31日に本人から副議長辞職願が議長に提出され受理されました。このため、本会議の冒頭で副議長選出選挙が行なわれ、民主党市民フォーラムの水野由之議員が選出されました。
  2. 条例等の制改定 ・ドメスティック・バイオレンス及びストーカー行為等の被害者支援に係る住民票の写しの交付等の制限に関する条例を制定しました。本条例は被害者を救済するために制定したものです。・市税条例の一部を改正しました。・国の三位一体改革の一環として所得税から住民税へ税源が移譲するため地方税法が改正されました。本条例はこれに基づき住民税を改正したものです。所得税と住民税の比率が変更されるだけで、市民の新たな負担増はありませんが、従来景気対策として実施していた定率減税が平成19年から廃止されますので、その分は留意する必要があります。・職員の勤務時間、休暇等に関する条例の一部が改正されました。職員には勤務時間中の有給の休息時間と、昼休み等の無給の休憩時間があります。本条例は従来休息時間を午後3時から15分間と定めていたものを廃止し、仕事の都合に合わせて休息を取ることにしたものです。
  3. 補正予算等 旧笠原町の一般会計等8つの決算を、全会一致で認定しました。本年1月23日に笠原町と合併したために、それまでの笠原町会計の決算審査を行ないました。審査は新たに決算特別委員会を設置して行い、委員長は中道議員が選任されました。決算は12月時点での打ち切り決算であり、予算に対する執行率は67%でありました。詳細は中道委員長の決算特別委員会報告を参照して下さい。
     補正予算はホームページ等の情報公開系のサーバーの一元化を図り、文書管理システムの効率的な運用を図るために約700万円、FRPの土地売り払い収入の2.9億円を財政調整基金に積み立て、ながせ商店街に防犯カメラを設置し、地場産業高度化事業を行なうNPOへの助成などが増額補正されました。
     また、債務負担行為として、多治見駅橋上駅舎新築工事に18億円、南北自由通路新設工事に33億円が追加されました。なお、全員協議会の席上で駅舎と南北自由通路のデザインが公表されました。工事費は両方で51億円となり来年度から着工し平成22年度完成の予定です。全てのホームに11人乗りのエレベーターとエスカレータが設置され、南北自由通路の幅は3mから10mに拡幅され、駅舎には観光案内所、ギャラリー、トイレが設置されます。全体のデザインはシンプルでシャープです。
  4. 意見書等 「道路特定財源制度の堅持に関する意見書」は多治見市の交通渋滞を解消するためには必要なので、定例会の冒頭で可決されました。「進行性化骨筋炎の難病指定を求める意見書」、「出資法及び貸金業規正法の改正を求める意見書」、「仕事と生活の調和推進法(仮称)の制定を求める意見書」、「脳脊髄液減少症の研究・治療の推進を求める意見書」は、全て全会一致で可決されました。
    なお、共産党議員が紹介議員となって提出された「二度と再び戦争と暗黒政治を許さないための請願」は否決されました。この請願は、請願の題名と請願項目の「治安維持法犠牲者国家賠償法(仮称)が制定されるよう国に請願して下さい」、及び紹介議員の「賠償は金銭的な補償を求めない」という主張が整合していないため、総務委員会での審議が混乱しましたが、最終的に請願は「否決」となりました。

(注記) 笠原町との合併決算特別委員会の報告を行なった中道委員長は、次のような感想を述べています。「平成13年11月に行なった4市3町合併協議会設置請求の署名活動を皮切りに、その後は3市1町合併の実現に奔走しました。結果として、どちらの合併も実現に至らなかったため、今度は笠原町との合併を実現するため、議長として東奔西走いたしました。このような経過から、合併手続きの最後となる合併決算特別委員会の委員長として報告ができますことは大変感慨深いものがあります。足掛け5年間に亘る「平成の大合併」への市民の皆様のご支援とご協力に、心から感謝を申し上げる次第です。」

 

 

<新旧正副議長の引継ぎ>(‘06年5月)

 5月29日、中道旧議長・伴野旧副議長と市原新議長・各務新副議長とが議長室で議会事務局長の立会いの下、事務の引継ぎを行ないました。詳細は正副議長引継書を参照して下さい。引継ぎの項目は当面の重要・懸案事項、一般事項、他の団体との関係、スケジュールなどです。
 当面の重要・懸案事項は、議員定数の検討、地方自治法の改正に伴う議会の政策形成機能と監視機能の強化等の検討、特別委員会の再検討、議場の放送設備改修とインターネット配信による議会中継の実施などです。
議員の定数は来年の統一地方選挙に向けて各会派代表者会議で今年の9月中に結論を出し公表すること。この方針は区長会でも報告していること。政策形成機能の強化は既存の政策研究会を活性化すること。特別委員会は予算を確保して活性化すること。議場は対面方式を採用し、インターネットによる議会中継は来年の9月議会に間に合わせること、などを引き継ぎました。
 一般事項は、地方自治法の標準則で定められていない会議(例えば、各派代表者会議など)の運営方法を明文化し、新たに議長経験者会議を設置した。議長交際費は全国大会等の出場者への激励金、食事を伴う行事に出席する際の会費(5,000円)、慶弔費等の香料等に限定した。議員の会費で運営する議員親睦会の支出は、忘年会、退職部長の会費不足分、記念写真代等に限定した。その他、正副議長はFMピピへ出演すること、議員親睦会が主催する忘年会や送別会等の司会進行は副議長が行なうこと。
 他の団体との関係では、全国議長会、東海市議会議長会、岐阜県市議会議長会、東濃飛騨市議会議長会、3市議長会、三金会、区長会などの開催数、主催者、出席者、会費などを明文化した。
 スケジュールは、行事への出席は原則議長が出席、都合のつかない場合は副議長、常任委員長、常任副委員長の順番で出席する。なお、陶祖祭は地元議員が出席する。
スケジュールの調整は、正副議長と議会事務局長が協議し決定する。なお、議長車は原則自宅への送迎をしない。閉庁日は原則議長車を使用しない。ただし、飲食を伴う行事や閉庁日であっても議長車が望ましい場合は例外とする。議長車が使えない場合はタクシーを利用する。
 その他、口頭で引き継いだ事項として、@執行部から自治体基本条例だけを9月議会で提出したいとの意向が示されたこと、A核融合科学研究所から議会で研究内容の説明会を開催して欲しいとの要望があったこと、B土岐市議会議長から土岐陶生苑再建の要望があったこと、C瑞浪市議会議長から3市議長会の廃止の提案があったが、将来の合併を考慮して存続することになったこと、などを引き継ぎました。
 なお、中道議長が在任中に新設または改正したものは次の通りです。政務調査費の使途基準として備品購入の基準、ガソリン代の基準、会派視察の旅費基準、交際費使途基準など。議員発言の規定として、本会議での質疑、一般質問、委員長報告、討論などの定義を確認。本会議傍聴人の年齢記入義務を削除、委員会の傍聴は条件を付けずに許可したことなどです。
しかし、議長の職務として特に印象に残った事件は、@1月23日に笠原町と合併できたこと、A2月10日に坂崎重雄・多治見市名誉市民推挙式を行ったこと、B継続審査となっていた自治体基本条例など7本の条例を、3月定例議会で全て「廃案」にしたことです。笠原町との合併は南姫の編入合併以来46年ぶりの出来事であり、名誉市民推挙は10年ぶりのことで、多治見市の最高規範と謳われた自治体基本条例等の「廃案」は、市議会としては前代未聞の事件でありました。

 

 

<第20回自治体学会・神奈川大会プレフォーラムを開催>
(‘06年5月)

 5月27日、横浜市の開港記念会館で表記フォーラムが開催され、中道議員は私費参加しました。フォーラムは松沢成文・神奈川県知事の来賓挨拶に続き、田村明・自治体学会顧問が「市民の政府は可能か」と題する基調講演を行い、その後、第1分科会で「市民の政府のルールをつくる−自治基本条例と首長・議会」と題し、主に「代表機関のあり方」を中心にフォーラムが行なわれました。
ここでは、第1分科会の主な内容について報告します。コーディネーターは小池治氏(横浜国立大学教授、以下、小池と略す)、パネリストは松沢成文氏(前述、以下、松沢と略す)、内野優氏(海老名市長、以下、内野と略す)、佐藤忠義氏(横須賀市議会議員、以下、佐藤と略す)、金井利之氏(東京大学教授、以下、金井と略す)の4名です。

  1. 市民の政府のルールをつくることに対する意見
    (松沢) 県議6年、国会議員10年の経験から、国を変えるには地方の土壌を変えないとダメだと思った。選挙の方法から変えないと政治は変わらない。このため、3年前に北川・三重県知事とローカル・マニフェストを作った。マニフェストを公表しないと首長の資格はないが、徐々に形式的になってきた。マニフェストは政策の情報公開であり、選挙政治のビジネス・モデルである。今までの選挙は人を選んでおり、政策を選ぶものではなかった。ルールとして自治基本条例を神奈川県でも作りたいが、基礎自治体と中間自治体の差異があり、県の自治基本条例をどのように定義するのかが難しい。
    (内野) 市議の時代から4回選挙を行い、今回2回目の挑戦で48票差の僅差で市長に当選した。選挙では38分野87項目のマニフェストを作成した。
    (金井) 選挙で選ばれる首長と議員とは、いったい何か。機関委任事務の時代、この2つは国の道具であったが、自治事務の時代となったいま市民の道具にする必要がある。これらの道具には重責があり、代表性や選挙の制度設計をやり直す必要があるとの考え、川崎市で「議員を公選職に」とパブリック・コメントで提案したが破棄されてしまった。市民の政府とは、市民の道具をどのように作るのかという問題に集約される。
  2. マニフェストが政府を変えることに対する意見
    (松沢) マニフェストは政策情報がないと作れない。その点、現職首長と新人候補者との間には情報格差があり、現職が圧倒的に有利だ。また、政治家が作成するマニフェストと、事務方が策定する総合計画とは整合せず、ダブル・スタンダードとなる可能性が高い。その場合、行政はどちらに進むのかという混乱が生じる。私の場合は半年間で統一のマニフェストを作った。また、マニフェストには外部評価委員が必要である。
    (内野) 市長になって、マニフェストは実行できないという事が判った。マニフェストは総合計画と整合させるため改定する必要がある。
    (佐藤) マニフェストをどのように作れば実行できるようになるのか。総合計画のようなマニフェストは作れないのか。マニフェストと総合計画はどこが異なるのか。新人候補がマニフェストを作る難しさは何か。
    (金井) マニフェストと総合計画との違いは、政治家が作る計画と事務方が作る計画の違いである。現職の首長はマニフェストを事務方が作った総合計画と整合させながら作成する。マニフェストで政策、予算、期限をパッケージ化すると、それが錦の御旗となって、首長は行政が大変やり易くなる。しかし反面、マニフェストで拘束されると行政が硬直してしまう。また、選挙で政策の選択肢は全て完了するのかという問題も発生する。やはり、市民は首長を道具として使うというスタンスが必要ではないか。
    マニフェストは政権公約で政策と予算と期限を明示する必要があるが、それは総合計画そのものであり、首長を道具として使うためにはマニフェストの再定義が必要ではないか。つまり、マニフェストに最低限必要なものは何か、と吟味する必要がある。
  3. 議会とマニフェストの関係に対する意見
    (松沢) 長野県の例を見ると、マニフェストは議会と対立する。議会も議会改革や政策条例のマニフェストを作るべきだ。
    (金井) この関係は議会と議員の機能について考える必要がある。マニフェストでは議会は首長に対抗できない。それは議会に政策立案担当の職員がおらず、また職員を増員することができないからだ。さらに、議員はライバル議員に足を引っ張られるため、議員が立案した政策では議会が一致して動けない場合が多い。したがって、議員は個人で首長と1:1で対決する方が良い。そのために、議員を常駐の公選職として、市民の専門的な知識を借りながら活動する方が良い。

 

 

<平成18年度正副議長選挙が紛糾> (‘06年5月)

 臨時議会が5月9日〜同12日に開催されました。法律の改正に伴う「都市計画税条例」、「心身障害児通園施設の設置及び管理に関する条例」、「障害者居宅生活支援条例」、「国民健康保険条例」、「消防団員等公務災害補償条例」、「病院事業の設置等に関する条例」の一部改正が先決処分されましたので、それらの承認が可決されました。また、市税条例が改正され、7月1日から市たばこ税の税率が1,000本につき321円引き上げられることが決まりました。これにより現行2,977円が3,298円に値上げされます。
 なお、議員間の申し合わせ事項により、中道議長と伴野副議長から辞職願が提出されましたので、正副議長選出選挙が行なわれました。立候補者は最大会派の市民クラブから議長に森議員、副議長に岡田議員、市民政策会からは議長に市原議員、副議長に冨田議員、また、ほおづき交友会から副議長に各務重美議員が立候補しました。
35名の議員が投票の結果、議長は市原議員が18票、森議員が16票、白票が1票で、市原議員が議長に当選しました。副議長は各務重美議員が18票、岡田議員が17票、冨田議員が0票で、各務重美議員が副議長に当選しました。
しかしながら市民クラブと公明党は、各派代表者会議で冨田議員が副議長に立候補したにもかかわらず0票だったことは、従来の議員間申し合わせ事項による慣例と異なる信義に悖る行為にあたると異議を申し立て、市民政策会に対し本会議再開までに、納得のいく説明を文書で求めました。その後、各派代表者会議で様々な議論が行なわれましたが最終的に、市民政策会は「代表者会議の話し合いの中で、我が会派の方針に対し不信感をお持ちになっている会派があることを理解しました。今後はこのご指摘を踏まえ、会派の信頼回復に努めて参りたいと思いますので、ご理解賜りますようお願いいたします」との文書を発行したため、事態は収拾しました。
この間、本会議は1日半に亘って審議に入れませんでした。中道議員は、このことに対し、議会の一員として市民と執行部の皆様に深くお詫び申し上げるものです。

 

 

<平成18年3月議会の報告>(‘06年3月)

−自治体基本条例等は廃案−
 3月定例会は3月1日〜同27日に開催されました。主な内容は次の通りです。

  1. 条例等の制改定 昨年の9月定例会以後に提案された「多治見市自治体基本条例」に関係する条例と修正案は、全て廃案になりました。廃案となった条例は、@自治体基本条例、A市民参加条例、B市民投票条例、C市長の服務の宣誓に関する条例、D職員の服務の宣誓に関する条例の一部を改正する条例、E市政に関する権利侵害の申し立て及び公益通報に関する条例、Fパブリック・コメント手続き条例などです。
     廃案の理由は種々(例えば自治体基本条例の論点整理を参照)ありますが、最高規範の自治体基本条例に対し、全ての会派から異論や条例の不備が指摘され、さらに対案が2つも提案されたため、百家争鳴となって議会案がまとまらない状況が生まれました。
    そこで、議会は全ての条例を「否決」することも検討しましたが、「この種の条例は必要である」との各会派の共通認識により、執行部が再度提案しやすい「廃案」という方法を選択したことによるものです。
     次に、笠原町との合併に伴い第5次総合計画基本構想と基本計画が改定されました。この改定は人口と財政の推計を変更し、新市建設計画の事業を追加したものです。
     次に、多治見市国民保護対策本部及び緊急対処事態対策本部条例と多治見市国民保護協議会条例が制定されました。この2つの条例は平成16年の国会で成立した「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」で地方自治体に義務付けられた国民保護対策本部、緊急事態対処対策本部、国民保護協議会の具体的内容を定めたものです。それぞれの対策本部は組織と会議及び現地対策本部の内容を定め、国民保護協議会は委員の定数、専門委員、会議、幹事、部会の内容を定めました。
     次に、多治見市病院事業の設置等に関する条例等が一部改正され、多治見市病院事業管理者の給与等に関する条例が制定されました。この2つの条例は市民病院を地方公営企業法の一部適用から全部適用に変更するため、病院事業の組織や実施機関の定義を行い、病院事業管理者つまり病院長の給与等を定めたものです。
    従来、市民病院は経営責任が市長にあるのか、それとも病院長にあるのかが曖昧であり、赤字経営を容認する大きな原因となっていました。このため本条例では経営責任が病院長にあることを明記して、経営が黒字になれば病院長の給与を加増し赤字になれば減額にするなどを定めたものです。なお、病院長の経営を補佐するため、新たに常勤の経営管理官を4月1日から雇用する予定です。
     次に、多治見市福祉医療費の助成に関する条例の一部改正では、新たに精神障害者と父子家庭が支給対象となり、乳幼児の通院医療費助成対象年齢が小学校就学前まで拡大されました。しかし一方で、入院時の食事療養費標準負担額の助成は廃止されました。
    また、多治見市介護保険条例の一部改正では、平成17年に国会で介護保険法が一部改正されたことに伴い、介護保険料の額の改定を行なうものです。本条例は低所得者を配慮するために従来5段階であった段階別保険料額を7段階と細分しましたが、高所得者で保険料が増額となる市民に対しては、激変緩和措置として平成18年度から19年度にかけて段階的に保険料額を設定したものです。
  2. 補正予算 一般会計は12.6億円が増額補正されました。主なものは職員退職積立金に1.4億円、財政調整基金積立金に10.6億円、市債償還対策基金積立金に2.5億円、滝呂小学校修繕引当金基金積立金に1.4億円をそれぞれ積み立てました。
    これらは行財政改革や東町のFRPの土地や笠原町の土地を売却した原資を、今後予測されている支出に備えて積み立てたものです。その他の補正予算は入札差金や工事費の減額変更あるいは経費節減などによるものでした。
  3. 平成18年度予算 一般会計予算は歳入歳出共に286億円で、13事業の特別会計予算は歳入歳出共に同じく286億円、2事業の企業会計予算は歳入が55億円、歳出が65億円で、これらの予算合計額は歳入が627億円、歳出が637億です。
    予算のうち一般会計は、前年度予算額の内訳が多治見市252億円、笠原町34億円であり、結果的に前年度の多治見市と笠原町の予算合計が、本年度の多治見市の予算と同額となって、対前年度当初予算比較の増減率は0%です。
    歳入の主な特徴は、景気の上向きで市民税個人が15%、地方消費税が5%上昇するが、愛知万博の閉会で市民税法人が5%、地価下落による評価損で固定資産税が7%、都市計画税が8%、それぞれ減少する。一方、国の三位一体の改革で地方譲与税が56%、笠原町との合併により本来なら6%減少するはずの地方交付税が13%、同様に県支出金が15%、それぞれ上昇する。しかし国の財政改革で、地方特例金が30%、滝呂小学校建設の完成により国庫支出金が18%、笠原町分の繰入金25%、繰越金22%がそれぞれ減少しました。
    歳出の主な特徴は、合併による地域振興費などで総務費が17%、通院医療費助成対象年齢を小学校就学前までの拡大などで民生費が11%、新焼却場建設費の元金償還等で公債費が9%、それぞれ上昇する。反面、国際陶磁器フェスティバルの閉会やバリアフリー事業の終了等で商工費が18%、下水道事業と駅北土地区画整理事業の土地取得減で土木費が13%、滝呂小学校建設完成などで教育費が9%,それぞれ減少しました。
    総じて本年度の予算は、緊縮予算となっていますが合併効果で13.6億円の増収が期待されており、そのうちの9億円が新市建設計画の事業に充当される予定です。
  4. 意見書等 「食品安全委員会の答申に基づき、安全対策が実施されない限り、アメリカ産牛肉の輸入を再開しないことを求める意見書」が賛成多数で、3月13日に退職する岡田幸三教育長に対する感謝決議が全員一致で、それぞれ可決されました。

 

 

<コミュニティ政策学会・第5回シンポジューム開催>(‘06年3月)

 3月11日、表記シンポジュームが岐阜市で開催され、中道議員も出席しました。テーマは「都市内分権とコミュニティ政策−コミュニティの再生が国を変える−」です。
シンポジュームは中田実・コミュニティ政策学会会長の挨拶の後、細江茂光・岐阜市長が「岐阜市におけるコミュニティ政策について」と題する基調講演を行い、その後、石田芳弘・犬山市長、土屋侯保・大和市長らによるシンポジュームが行なわれました。ここでは、各講演者の主な意見を報告します。
細江茂光・岐阜市長 岐阜市は住民自治・市民自治による新しい市民社会の構築を目標に「協働のまちづくり」を展開している。具体的には地域型コミュニティと目的型コミュニティの連携を行い、住民参加の窓口拡大を図りながら多様で効果的なまちづくりを目指している。
自治会を核とする地域型コミュニティは、住民の身近な生活の場として、住み良い地域社会を築くため、あらゆる分野において重要な役割を果たします。一方、NPO法人やボランティア団体など目的型コミュニティは、防災・環境・福祉・地域教育など、特定の目的や使命を達成するために組織され、機動性と先駆性と専門性を活かして、直面する課題の対応や行政では提供が困難な社会サービスを行ないます。
平成の大合併で、都市内分権がクローズアップされました。岐阜市でも柳津町との合併により、コミュニティへの権限移譲を検討するため、地域力創生モデル事業を実施しています。
石田芳弘・犬山市長 犬山市は「犬山市自治基本条例」を策定中ですが、条例は「自立型コミュニティ」と「マニフェスト型自治体運営」という2つの理念を基に、犬山市独自の自治の推進と確立を目指しています。
「自立型コミュニティ」とは、小学校区などの一定のまとまりのある最も身近な地域を単位とした共同体を形成し、権限と予算を移譲して自らまちづくりを行なうものです。
「マニフェスト型自治体運営」とは、市民との契約を明確にして着実な実現に向け「マネジメントサイクル(計画・決定・実行・評価)を基本に自治体運営を行ないます。
このうち「自立型コミュニティ」は、コミュニティ議会を設置し、その活動を補佐するためコミュニティ事務所を設置し、そこに行政職員を配置することができます。
コミュニティ議会とは、地域の市民の意見を聞きながら地域のまちづくりを自主的・計画的に進める中心的な存在で、市より予算の委嘱を受けて使途を決定することができ、決定した予算の公正な執行に責任を持ち、執行に際しては町内会・自治会・NPO・ボランティア団体・企業など、各種民間団体に事業を委託することができます。そして、コミュニティ議会は予算執行による成果目標の達成度について評価し、その結果を次の計画や予算の決定・執行に反映させます。
土屋侯保・大和市長 大和市は住民(市民)、議会(議員)、市長(行政)の緊張ある相互関係の構築を目指しています。自治の概念は、理念を「自治基本条例」、計画を「第7次大和市総合計画」、そして都市内分権を「テーマ型コミュニティ」と「エリア型コミュニティ」で実現しようとしています。
このうちの「エリア型コミュニティ」とは、2万人規模の「市民自治区」を創設し、財産と権限を移譲して独自の事業を展開する予定です。平成18年度はモデル地区を指定し、コミュニティを活性化するための支援策として「やまと地域の底力事業」を実施し、平成22年度までに市内全域で都市内分権を行なう予定です。

 

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